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天親という人 [はじめての『高僧和讃』(その18)]

              第2回 天親讃

(1)天親という人

 龍樹讃が終わり、つづいて天親讃10首がはじまります。さっそくその第1首を読みましょう。

 「釈迦の教法おほけれど 天親菩薩はねんごろに 煩悩成就のわれらには 弥陀の弘誓をすすめしむ」(第11首)。
 「釈迦の教えは数あれど、天親菩薩そのなかで、煩悩おおきわれらには、弥陀の弘誓をすすめたり」。

 先回は『中論』の龍樹と『十住毘婆沙論』の龍樹を重ね合わせるのに苦労しましたが、今回もまた『唯識三十頌(じゅ)』の天親と『浄土論』の天親との落差に苦しみます。「一切は空である」と説く龍樹と「ひとよくこの仏(阿弥陀仏)の無量力功徳を念ずれば、すなはちのときに必定にいる」と説く龍樹とは同一人物なのかが疑問になるように、「一切唯識(ただこころ)のみなり」と説く天親が、どうして「世尊、われ一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず」と言うのか怪訝に思われるのです。
 ともあれ天親について基本的なことを押さえておきましょう。天親は、5世紀に北インド・ガンダーラ地方のプルシャプラ(いまのペシャワール)に生まれ、その名をヴァスバンドゥと言い、中国では天親とよばれ、玄奘以後は世親とよばれることになります。そして最初は部派仏教(小乗仏教)を修め、その百科全書とも言うべき『倶舎論』を著すのですが(この書は今日でも仏教の概説書として推奨されます)、兄のアサンガ(無着)の勧めで大乗仏教に転じ、兄とともに唯識学派を大成することになります。こうして中観の龍樹と並び、唯識の天親として大乗仏教を代表する思想家と目されるようになるわけです。
 さてその唯識の天親がどうして「弥陀の弘誓をすすめ」ることになるのか、これを考えなければなりません。

タグ:親鸞を読む
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