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こほりおほきにみづおほし [はじめての『高僧和讃』(その77)]

(20)こほりおほきにみづおほし

 闇は光に縁ってはじめて闇であり、光も闇に縁ってはじめて光であるということ、あるいは、氷は水に縁ってはじめて氷であり、水も氷に縁ってはじめて水であるということ、これは煩悩は煩悩のまま菩提にひとしいということに他なりません(煩悩即菩提です)。あるいは凡夫は凡夫のまま仏にひとしいということです(これを仏凡一如といいます)。ぼくお好みの譬えで言いますと、おたまじゃくしはおたまじゃくしのまますでに蛙にひとしいのです。
 ここから次の和讃が出てきます。

 「罪障功徳の体となる こほりとみづのごとくにて こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし」(第40首)。
 「煩悩菩提の元となる、氷と水のごとくにて、氷おおきに水おおし、障りおおきに徳おおし」。

 煩悩の氷が溶けて菩提の水となるということから、氷が多いほど、溶ける水も多くなると詠われます。ぼくらはどうしても煩悩と菩提を対立させて考えますから、煩悩が多ければ多いほど菩提が少なく、煩悩が少なければ少ないほど菩提が多いととらえてしまうのですが、煩悩を氷に譬え、菩提はその氷が溶けるとすることにより、煩悩が多いほど菩提が多いという驚くべき事実が明らかになるのです。
 氷を氷としてしかみませんと、氷が多いということは水が少ないということです。でも氷は解ければ水であることから、氷のなかに水をみることができますと、氷が多いということは水が多いということになります。同じように、煩悩を煩悩としてしかみませんと、煩悩が多いということは菩提が少ないことに他なりません。しかし煩悩が解ければ菩提となることから、煩悩のなかに菩提をみることができますと、煩悩が多いということは菩提が多いということになるのです。

タグ:親鸞を読む
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