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善導という人 [はじめての『高僧和讃』(その116)]

(3)善導という人

 では善導がゲットされた真理とはいかなるものか。これからおいおい明らかになっていきますが、前もってその要点をかいつまんで上げておきましょう。
 善導は唐代初期の人(618年~681年)で、各地を遍歴するなかで西方浄土変相図を見たことがきっかけとなって浄土教に帰し、のちに石壁山玄中寺の道綽の門に入りました。道綽はこの寺で曇鸞の顕彰碑を読み浄土門に帰したのでしたが、善導は同じ寺で道綽から直に教えを受けたのです。そして世界都市・長安の光明寺を中心にその教えを人々に説き広めました。先回見てきましたように、道綽の教えの根幹は「起悪造罪の暴風駛雨のなかにあって一生悪を造り続ける凡夫こそが弥陀の本願に乗じて救われる」というところにありました。善導はこの教えをもとに『観経』の説くところを注意深く聞きとり、それを『観経疏』四巻に著したのです。
 前にも言いましたように、当時中国において『観経』はよく読まれ、多くの学僧がその注釈をしていました。一般的な説として流布していたのは、『観経』は聖人(しょうにん、凡夫に対する語で、仏道修行においてある程度以上にある人)を対象として、浄土のありさまやそこにおわす阿弥陀仏、観音・勢至菩薩などを観るための方法を説くことにあるとするものでした。これは『観無量寿経』というタイトルにも沿うもので、常識的な読み方として広く支持されていたのです。しかし善導はそれと真っ向から対立する解釈を打ち出しました。まず対象は聖人ではなく一生造悪の凡夫であるということ、そして観仏ではなく念仏により往生できると説くことに経の主眼があるということです。
 凡夫往生そして念仏往生、ここに『観経』の本質がある。このように見るのは曇鸞から道綽の流れを汲む善導としては当然でしょうが、世の通説からは大きく外れた読み方でした。しかしこの善導流の浄土教は次第に影響力を増していきました。次の和讃はそれについて詠います。

タグ:親鸞を読む
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