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ひとしく真宗に悟入せり [はじめての『高僧和讃』(その216)]

(19)ひとしく真宗に悟入せり

 次の二首を一度に読みます。

 「源空勢至と示現し あるいは弥陀と顕現す 上皇・群臣尊敬(そんきょう)し 京夷(きょうい、都もいなかも)庶民欽仰(きんごう、仰ぎたてまつる)す」(第106首)。
 「ときに勢至とあらわれて、あるいは弥陀とあらわれる。上皇臣下尊敬し、庶民もこぞり仰ぎ見る」。

 「承久の太上法皇(だいじょうほうおう)は 本師源空を帰敬しき 釈門・儒林みなともに ひとしく真宗に悟入せり」(第107首)。
 「後高倉の法皇は、本師源空をうやまいぬ。釈門・儒林みなともに、浄土門にぞ入りにけり」。

 この2首は、上は上皇から、下は一般庶民まで、こぞって法然の教えを喜び受け入れたことを詠っています。法然の生きた時代(1133年から1212年)は源平の争いから鎌倉幕府の樹立へ、しかしそんな中で朝廷の勢力と幕府の勢力がしのぎを削り、ついには承久の乱という戦乱に至る、貴族の世の中から武士の世の中に移行する大激動期でした。そんな混乱のなかで、上皇から庶民にいたるまで、明日をも知れぬ不安を生きなければなりませんでした。
 法然の専修念仏の教えがそうした状況を生きる人々に大いなる安心を与えるものであったことは容易に理解できます。ただ念仏することにより弥陀の力で浄土往生をさせてもらえるという教えは、無明の長夜を生きなければならないものにとってどれほど大きな希望の灯であったことでしょう。ちょうど道綽が生きた中国南北朝時代の末期に、相つく戦乱と飢饉、そして廃仏といった不安のなかで『観経』の教えが何よりの慰めとなったのとよく似ているのではないでしょうか。
 仏教は6世紀に日本に入ってきて以来、もう長い歴史を経てきていますが、それはごくひとにぎりの人たちのもので、ほとんどの人々には無縁の存在であったと言わなければなりません。それが南無阿弥陀仏ひとつで誰でも浄土往生できるというのですから、しかも法然みずからどんな人にも親しくそのように教えてくれるのですから、その日その日を不安な思いで過ごしている多くの人々にとってそれは未来を照らす希望の灯となったに違いありません。

タグ:親鸞を読む
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