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親鸞の浄土思想の核 [正信偈と現代(その3)]

(3)親鸞の浄土思想の核

 正信偈は『教行信証』のエッセンスを手短にまとめた偈文だと先ほど言いましたが、それがどうして全体の最後に置かれずに途中の行巻の末に入れられたのかという疑問がうかびます。
 まず言わなければならないのは、『教行信証』という書物は未完の大作であるということです。親鸞が常陸にいた50代に書きはじめたと思われますが、60代になり京都にもどってからも推敲を重ねています。坂東報恩寺に保存されていたことから坂東本とよばれる親鸞真筆の『教行信証』が残されていますが、その写真版を見ますと、推敲のあとが歴然としています。
 そのように全体として未完という中にあって、最初の二巻(教巻と行巻)は、それだけで独立させることができるほど完結しています。その中に浄土真実の教えがすべて説き尽くされていると言ってもいい。さらに言えば、次の信巻には序文がつけられています。全体の初めに序文があるのは当然ですが、その途中にまた序文があるのです。そこから言っても行巻と信巻の間にひとつの切れ目があり、行巻の末尾に正信偈が置かれているのも自然と言えます。
 さてつぎに正信偈そのものを見てみましょう。上に最初の二句を上げました。これは「帰敬偈(ききょうげ、冒頭で仏を敬うことば)」とよばれますが、この二句と同じようにすべての句が7言に整えられていて、上下2段で60行、120句で成り立っていますから、すべてで840字ということになります。そして大きく前半と後半に分けることができ、前半は依経段、後半は依釈段とよばれます。
 依経段とは「経典に依る段」という意味で、『無量寿経』にもとづいて詠われています。22行、44句あり、冒頭の帰命偈2句と、弥陀・釈迦二尊をたたえる偈42句からなります。依釈段とは「高僧の論釈に依る段」ということで、龍樹から法然まで浄土教をつくってきた7人の高僧たち(龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空)を讃えています。38行、76句あります。

タグ:親鸞を読む
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