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偈文6 [正信偈と現代(その45)]

            第6回 煩悩を断ぜずして涅槃をう

(1)偈文6

 能発一念喜愛心(のうほついちねんきあいしん)    能(よ)く、一念喜愛の心を発すれば、
 不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)     煩悩を断ぜずして涅槃をう。
 凡聖逆謗斉廻入(ぼんしょうぎゃくほうさいえにゅう) 凡聖・逆謗、斉(ひと)しく廻入すれば、
 如衆水入海一味(にょしゅすいにゅうかいいちみ)    衆水、海に入りて一味なるがごとし。

 (現代語訳) 本願の招喚が聞こえ、喜びのこころから念仏申さんと思い立つとき、煩悩をもったまま涅槃の境地にはいることができます。凡夫も聖人も、五逆罪を犯したものや仏法を謗るものも、みな本願の海に入ってしまえば、さまざまな河の水が海に入ると同じ味になるように、何の違いもありません。

 偈文5に弥陀の本願を信ずべしと述べたあと、この偈文6で本願を信じるとどういうことが起るかを語っていきます。ここも親鸞自身の解説(『尊号真像銘文』)がありますので、それを読んでおきましょう。

 「能発一念喜愛心」といふは、能はよくといふ。発はおこすといふ、ひらくといふ。一念喜愛心は、一念慶喜(きょうき)の真実信心よくひらけ、かならず本願の実報土にむまるとしるべし。慶喜といふは、信をえてのちよろこぶこころをいふ也。「不断煩悩得涅槃」といふは、不断煩悩は煩悩をたちすてずしてといふ、得涅槃とまふすは、無上大涅槃をさとるをうるとしるべし。「凡聖逆謗斉廻入」といふは、小聖・凡夫・五逆・謗法(ほうぼう)・無戒・闡提(せんだい、仏法を信じることなく、さとりを求める心のないもの)みな回心して、真実信心海に帰入しぬれば、衆水の海にいりてひとつあぢわいとなるがごとしとたとえたるなり。これを「如衆水入海一味」といふなり。

タグ:親鸞を読む
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