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偈文7 [正信偈と現代(その53)]

             第7回 摂取の心光

(1)偈文7

 摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご) 摂取の心光、常に照護したもう。
 已能雖破無明闇(いのうすいはむみょうあん)    已(すで)に能く無明の闇を破すといへども、
 貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ)    貪愛瞋憎の雲霧、
 常覆真実信心天(じょうふしんじつしんじんてん)  常に真実信心の天に覆(おお)
えり。
 譬如日光覆雲霧(ひにょにっこうふうんむ)     譬(たと)えば日光の雲霧に覆わるれども、
 雲霧之下明無闇(うんむしげみょうむあん)     雲霧の下、明らかにして闇無きがごとし。
 獲信見敬大慶喜(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき)信を獲て、見て敬い、大いに慶喜すれば、
 即横超截五悪趣(そくおうちょうぜつごあくしゅ)  即ち横(よこさま)に五悪趣を
超截す。

 (現代語訳) 弥陀の光明は、常にわれらを照らし護ってくださいます。その光に気づかせていただき、われらのこころの闇は晴れますが、だからと言って、貪りや愛欲、怒りや憎しみから遁れたわけではありません。いつも煩悩の雲や霧がかかり、真実の信心の空を覆っています。それはちょうど日の光が雲や霧に覆われていても、その下は明るく闇がないようなものです。本願に遇うことができ、大いなる喜びに包まれれば、そのとき横さまに五つの迷いの世界(地獄・餓鬼・畜生・人・天)を超えることができるのです。

タグ:親鸞を読む
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