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よこさまに超える [正信偈と現代(その60)]

(8)よこさまに超える

 煩悩は往生の障りにならないどころか、煩悩があるゆえに往生がある(もっと正確に言えば、煩悩の気づきがあるゆえに往生の気づきがある)ということを見てきました。それにつづいて「獲信見敬大慶喜(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき)、即横超截五悪趣(そくおうちょうぜつごあくしゅ)」とあります。信心をえたそのとき何が起こるかというと、「生死の大海をやすくよこさまにこえて、無上大涅槃のさとりをひらく」と言うのです。これは『尊号真像銘文』の解説文ですが、そこで親鸞はとりわけこの二句についてかなり丁寧に注釈しています。
 「よこさま」ということばですが、これは『無量寿経』に「かならず超絶してすつることをえて安養国に往生せよ。よこさまに五悪趣をきり、悪趣自然に閉ぢん。道にのぼること窮極(ぐごく)なし。ゆきやすくしてしかもひとなし。その国逆違せず、自然のひくところなり」と出てきます。親鸞は『教行信証』「信巻」でこのことばに注目し、とくに「よこさま」ということばについて「たてさま」と比較しながら詳しく解説をしています(細かく言いますと、横と竪の対比の他に、超と出の対比を組み合わせて、横超・横出・竪超・竪出のいわゆる二双四重の分類をし、浄土真宗は横超の立場であることを明らかにしているのです)。
 大事なポイントは「たてさま」が自力であるのに対して「よこさま」は他力をあらわすということです。『銘文』においてはこう言っています、「横は、よこさまといふ。如来の願力なり。他力をまふすなり」と。生死の大海をみずからの力でこえようとしてもできることではなく、それは如来の願力すなわち他力によるしかないということです。しかしどうして他力は「よこさま」なのでしょう。親鸞はこの「よこさま」ということばに何か大いに感じるところがあったようですが、それはいったい何でしょう。
 「たて」と「よこ」、あらためて思いを致してみたい。

タグ:親鸞を読む
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