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仏教とは本願の教え [正信偈と現代(その75)]

(2)仏教とは本願の教え

 仏教とはようするに弥陀の本願の教えである、というこの宣言は大胆不敵であると言わなければなりません。仏教を実証的にとらえていこうとする人たちからは、とんでもない妄言と言われかねません。たしかに釈迦が説いた教えとして伝えられているもの(原始仏教)のなかのどこにも弥陀の本願などというものは見当たりません。阿弥陀信仰は大乗仏教が形成されてくるなかで生まれてきたのであることは間違いないでしょう。大乗仏教は紀元前後あたりに生まれてきましたから、釈迦の時代から数百年後のことになります。その大乗仏教運動のなかで編纂された多くの経典のひとつが『無量寿経』で、そこに弥陀の本願が説かれているのです。
 しかも、新しい大乗仏教の諸宗のなかにおいても、弥陀の本願念仏はあくまでも傍流でしかありませんでした。聖道門の諸宗に寄寓する寓宗でしかなかったのです。日本の仏教に限定しても、国家公認の正統な諸宗として、三論・成実・法相・俱舎・華厳・律の南都六宗に、平安時代に中国からもたらされた天台・真言の二宗を加えた八宗がありましたが、念仏の教えはそうした聖道門諸宗のなかで本来の教えとともに併修されるものだったのです。親鸞が学んだ比叡山延暦寺でも、天台教学を中心として、それに付随して常行三昧とよばれる念仏行(90日間、阿弥陀仏像の周りを念仏しながら歩きつづける荒行)がなされており、親鸞は常行三昧堂の堂僧であったと伝えられています(恵信尼文書)。
 このように聖道門の寓宗にすぎなかった本願念仏の教えをひとつの独立した浄土門の宗派として立ち上げたのが法然の『選択本願念仏集』でした。法然およびその門弟たちを死罪や流罪を含む厳罰に処した承元の法難の背後には、これまで自分たちの宗派のなかで仮住まいしてきた本願念仏の教えを、許しもえないで勝手に独立させたことに対する聖道門諸宗の怒りがあったのです。

タグ:親鸞を読む
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