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偈文11 [正信偈と現代(その91)]

         第11回 龍樹-すなはちのとき必定にいる

(1)偈文11

 顕示難行陸路苦(けんじなんぎょうりくろく)     難行の陸路、苦しきことを顕
示して、
 信楽易行水道楽(しんぎょういぎょうすいどうらく) 易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
 憶念弥陀仏本願(おくねんみだぶつほんがん)     弥陀仏の本願を憶念すれば、
 自然即時入必定(じねんそくじにゅうひつじょう)   自然にすなはちのとき必定にいる。
 唯能常称如来号(ゆいのうじょうしょうにょらいごう) 唯能く常に如来の号を称して、
 応報大悲弘誓恩(おうほうだいひぐぜいおん)     大悲弘誓の恩を報ずべし。

 (現代語訳) 龍樹は『十住毘婆沙論』においてこう説いています、「釈迦如来は、陸路を歩行するのは困難で苦しく、水路を乗船するのは易しく楽しいものと教えてくださいました。阿弥陀如来の本願がこころにありさえすれば、おのずからにして、そのまま正定聚不退の位に入るのです。ただただいつも南無阿弥陀仏を口にして、弥陀の本願のご恩を感謝せずにはおれません」と。

 真理そのものの気づきを語るのに、「論理のことば」による難行道と、「物語のことば」による易行道があることを見てきました。龍樹はそのコントラストを「陸道の歩行はすなはちくるしく、水道の乗船はすなはちたのしきがごとし」(『十住毘婆沙論』)と述べ、前者を「勤行精進」の道と言い、後者を「信方便の易行」と言います。そして後者について「ひとよくこの仏(阿弥陀仏)の無量力功徳を念ずれば、すなはちのときに必定(必ず仏になる身に定まること、正定聚・不退と同じ)にいる」(同)と述べるのです。

タグ:親鸞を読む
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