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寓宗としての浄土教 [正信偈と現代(その103)]

(2)寓宗としての浄土教

 ぼくらは中観や唯識といった大乗仏教の本流と浄土の教えとは水と油のような関係にあるとイメージしがちです。
 それも無理はないわけで、両者の顔つきはまるで違いますから、それが同じ大乗仏教のなかにあること自体がどうにも合点いかないとなるのです。しかし龍樹や天親など大乗仏教をつくっていった人たち自身にはそんな感覚はなかったのではないか。彼らにとって『般若諸経典』や『法華経』、『華厳経』などと『無量寿経』とは同じ大乗経典として同格に並んでいたのではないでしょうか。そのように見ることで、天親は一方で『唯識二十論』を書くとともに、それと並んで『浄土論』を書いたのではないかと思えるようになります。
 釈迦がえたさとり(真理そのもの)を語るのに、「論理のことば」で語るのと、「物語のことば」で語るという二つの道があるということが当然のこととして受けとめられていたのではないでしょうか。『般若諸経典』などは「論理のことば」で語ろうとしているのに対して、『無量寿経』などは「物語のことば」で語ろうとする。龍樹や天親たちは、それをごく当たり前と受け取っていたと考えれば、龍樹が『十住毘婆沙論』を書き、天親が『浄土論』を著すことにさほど驚きはなくなるのではないでしょうか。
 さて仏教が中国に入ってきますと、次第にそれぞれが依拠する経典によって宗派が形成されるようになります。
 龍樹や無着・天親のインド大乗仏教は、とりたてていずれかの経典を立てて、それに依拠するということはなかったのですが、中国では『法華経』に依る天台宗(智顗)、『華厳経』に依る華厳宗(賢首)など、経典をもとに宗派が形成されていくのです。そしてそのなかで『浄土諸経典』に依る浄土宗は独立した一宗とはみなされず、さまざまな宗派に寄寓する地位に甘んじてきました。中国の仏教がそのまま入ってきた日本でも、浄土宗は寓宗としての扱いでした。あの源信も天台僧としての顔のまま、比叡山の奥・横川でひっそりと浄土の教えを奉じていたのです。

タグ:親鸞を読む
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