SSブログ
正信偈と現代(その124) ブログトップ

現世利益 [正信偈と現代(その124)]

(3)現世利益

 親鸞も現世利益を説きました。『教行信証』「信巻」には「現生に十種の益をう」として、冥衆(天神地祇)護持の益、至徳具足の益、転悪成善の益、諸仏護念の益、諸仏称讃の益、心光常護の益、心多歓喜の益、知恩報徳の益、常行大悲の益、入正定聚の益を上げています。また『浄土和讃』に「現世利益和讃」として15首も詠っています。考えてみますと、来生に往生するとされていた伝統的な浄土教を、今生において往生がはじまると大転換したのが親鸞ですから、利益は来生ではなく今生にあるのは当然のことです。救いは「いま」でしかないのです。
 さてしかし現世利益と言いますと、無病息災、病気平癒、商売繁盛、学業成就といったことが真っ先に頭にうかびます。わが家の近くにある臨済宗の大寺院でも、それらを大々的に掲げて多くの善男善女を集めています。これらが普通に言う現世利益でしょうが、親鸞の現生十益にはそういったものは何ひとつ入っていません。本願を信ずれば、病気が治り、長生きでき、お金がもうかるなどということは一切ありません。それどころか『正像末和讃』の「愚禿悲嘆述懐」では「かなしきかなやこのごろの 和国の道俗みなともに 仏教の威儀をもととして 天地の鬼神を尊敬(そんきょう)す」などと詠い、こぞって天地の鬼神に病気平癒や不老長生を祈願していることを嘆いています。
 では世間で普通に言う現世利益と親鸞の現生十益とはどう違うのでしょう。どちらも「この世での幸せ」ですが、前者は「身の幸せ」であるのに対して、後者は「心の幸せ」である、とひとまずは言うことができるでしょう。前者はよき境遇に恵まれることで、後者は境遇にかかわらず心に平安があること。ただこの区分けはあいまいであると言わなければなりません。病気が治り、お金がもうかることも、それにより心の平安がもたらされると見ることができるからです。
 そこでこう言いましょう、前者は「こちらから願い、求める幸せ」で、後者は「向こうから与えられる幸せ」であると。

タグ:親鸞を読む
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
正信偈と現代(その124) ブログトップ