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『尊号真像銘文』という書物 [はじめての『尊号真像銘文』(その2)]

(2)『尊号真像銘文』という書物

 はじめに掲げられた文は第18願の願文ですが、その一句一句について親鸞が丁寧に解説してくれています。『尊号真像銘文』はこんなふうに、まず大事な経文や高僧の文を原文のまま掲げ、それについて親鸞が注釈を施すというかたちで進められていきます。
 書物のタイトルは「尊号」すなわち名号や「真像」すなわち祖師方の肖像に付された「銘文」ということです。おそらく各地の道場には尊号や真像の掛け軸が掲げられていたものと思われますが、掛け軸の真ん中に尊号や真像が置かれ、その上下の余白部分に大事な文章が付されています。その文章をみんなが理解できるように分かりやすく解説しましょうというわけで、親鸞がこの書を著したのです。この書はその略本(16文が取り上げられます)が親鸞83歳のときに著され、ついで広本(21文に増えます)が86歳のときに成立しました。
 前に読みました『唯信鈔文意』や『一念多念文意』と同じように、難しい漢文を噛んで含めるように易しく読み解きながら、ここぞというところは表面的な意味の下に隠れている真意を丁寧に掘り起こしてくれますので、何とも有り難い書物と言わなければなりません。さて最初に取り上げられるのが第18願の願文です。言うまでもなく第18願こそ浄土の教えの原点ですから、これを最初にもってくるのは当然でしょう。また親鸞がこの文をどのように読んだかということから親鸞浄土教の核心が明らかになるという点でも、この冒頭の文章は格別の重みがあります。一文一文を熟読玩味していきましょう。
 まず「『大無量寿経言』といふは、如来の四十八願をときたまへる経也」。
 親鸞は『教行信証』の「教巻」において、「それ真実の教をあらはさば、すなはち『大無量寿経』これなり」として、浄土三部経のなかでも『観無量寿経』や『阿弥陀経』ではなく『大無量寿経』に依ることを明らかにし、「如来の本願をとくを経の宗致とす。すなはち仏の名号をもて経の体とするなり」と述べています。弥陀の本願を説くのが『大無量寿経』であり、釈迦は弥陀の本願を説くために「世に出興」されたのだというのです。そして本願に四十八あるなかで第18願がその核であり、そこに浄土の教えが凝縮されています。

タグ:親鸞を読む
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