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本文6 [はじめての『尊号真像銘文』(その39)]

         第4回 念仏の心をもつて無生忍に入る

(1)本文6

大勢至菩薩御銘文
 『首楞厳経(しゅりょうごんきょう)』言「勢至獲念仏円通(せいしぎゃくねんぶつえんずう) 大勢至法王子(だいせいしほうおうじ) 興其同倫(よごどうりん) 五十二菩薩(ごじゅうにぼさつ) 即従座起(そくじゅうざき) 頂礼仏足(ちょうらいぶっそく) 而白仏言(にびゃくぶつごん) 我憶往昔(がおくおうじゃく) 恒河沙劫(ごうがしゃこう) 有仏出世(うぶつしゅっせ) 名無量光(みょうむりょうこう) 十二如来(じゅうににょらい) 相継一劫(そうけいいっこう) 其最後仏(ごさいごぶつ) 名超日月光(みょうちょうにちがっこう) 彼仏教我(ひぶつきょうが) 念仏三昧(ねんぶつざんまい)乃至 若衆生心(にゃくしゅじょうしん) 憶仏念仏(おくぶつねんぶつ) 現前当来(げんぜんとうらい) 必定見仏(ひつじょうけんぶつ) 去仏不遠(こぶつふおん) 不仮方便(ふけほうべん) 自得心開(じとくしんかい) 如染香人(にょぜんこうにん) 身有香気(しんうこうけ)、此則名曰(しそくみょうわつ) 香光荘厳(こうこうしょうごん) 我本因地(がほんいんじ) 以念仏心(いねんぶっしん) 入無生忍(にゅうむしょうにん) 今於此界(こんおしかい) 摂念仏人(しょうねんぶつにん) 帰於浄土(きおじょうど)」

 『首楞厳経』に言はく「勢至念仏円通(念仏によるさとり)を獲たり。大勢至法王子、その同倫(仲間のこと)の五十二菩薩と、すなはち座より起(た)ち、仏足を頂礼して仏にまうしてまうさく、われ往昔の恒河沙劫を憶(おも)ふに、仏ありて世に出でます。無量光と名づく。十二の如来、一劫にあひ継ぎ、その最後の仏を超日月光と名づく。かの仏、われに念仏三昧を教へたまふ。乃至 もし衆生、心に仏を憶ひ仏を念ずれば、現前(現在)・当来(未来)にかならずさだめて仏を見たてまつらん。仏を去ること遠からず、方便を仮(か)らず、おのづから心開かるることを得ん。染香人(身に香気ある人、念仏の人)の身に香気あるがごとし。これすなはち名づけて香光荘厳といふ。われもと因地にして、念仏の心をもつて無生忍(不退の位)に入る。いまこの界において、念仏の人を摂して浄土に帰せしむ。」

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