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本文9 [はじめての『尊号真像銘文』(その48)]

(10)本文9

龍樹菩薩御銘文
 『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』曰(いわく)「人能念是仏(にんのうねんぜぶつ) 無量力功徳(むりょうりきくどく) 即時入必定(そくじにゅうひつじょう) 是故我常念(ぜこがじょうねん) 若人願作仏(にゃくにんがんさぶつ) 心念阿弥陀(しんねんあみだ) 応時為現身(おうじいげんしん) 是故我帰命(ぜこがきみょう)」
 「人能念是仏無量力功徳」といふは、ひとよくこの仏の無量の功徳を念ずべしとなり。「即時入必定」といふは、信ずればすなはちのとき必定に入るとなり。必定に入るといふは、まことに念ずればかならず正定聚の位に定まるとなり。「是故我常念」といふは、われつねに念ずるなり。「若人願作仏」といふは、もし人、仏にならんと願ぜば[となり]。「心念阿弥陀」といふ[は]、心に阿弥陀を念ずべしとなり。念ずれば「応時為現身」とのたまへり。応時といふは、ときにかなふといふなり。為現身と申すは、信者のために如来のあらわれたまふなり。「是故我帰命」といふは、龍樹菩薩のつねに阿弥陀如来を帰命したてまつるとなり。

龍樹菩薩の御銘文。
 龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』に、こうあります、「人よくこの仏の無量力功徳を念ずれば、即の時に必定に入る。このゆゑにわれつねに念じたてまつる。もし人仏にならんと願じて、心に阿弥陀を念じたてまつれば、時に応じてために身を現じたまはん。このゆゑにわれ帰命す」と。
 「人よくこの仏の無量力功徳を念ずれば」とは、人よくこの仏の無量の功徳を心に思え、ということです。「即の時に必定に入る」とは、信ずれば直ちに必定に入るということです。必定に入るとは、まことに心に思えば必ず正定聚の位に定まるということです。「このゆゑにわれつねに念じたてまつる」とは、わたしは常に心に思うということです。「もし人仏にならんと願じて」とは、もし人が仏になろうと願えばということです。「心に阿弥陀を念じたてまつれば」とは、心に阿弥陀仏を思えということです。そうすれば、「時に応じてために身を現じたまはん」と言われます。応時とは、ときにかなってということです。為現身とは、信じる人に如来が姿を現されるということです。「このゆゑにわれ帰命す」とは、龍樹菩薩が常に阿弥陀如来に帰命されるということです。


タグ:親鸞を読む
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