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本文13 [はじめての『尊号真像銘文』(その70)]

            第6回 南無阿弥陀仏とは

(1)本文13

斉朝曇鸞和尚真像銘文
 「釈曇鸞法師者并州汶水県人也。魏末高斉之初猶在。神智高遠三国知聞。洞暁衆経独出人外。梁国天子蕭王、恒向北礼鸞菩薩。註解往生論裁成両巻。事出釈迦才三巻浄土論也」

斉朝の曇鸞和尚の真像の銘文。
 「釈の曇鸞法師は并州(へいしゅう)汶水県(ぼっすいけん)の人也。魏の末高斉の初め猶いましき。神智高遠にして三国に知聞す。洞(あき)らかに衆経を暁(さと)ること独り人外に出でたり。梁国の天子蕭王(そうおう)、恒に北に向かひて鸞菩薩と礼す。往生論を註解(ちゅうげ)して、両巻にことわりを成す。こと釈の迦才(かざい)の三巻の浄土論に出でたるなり。」

 「釈の曇鸞法師は并州(へいしゅう)の汶水県(ぼっすいけん)の人なり」。并州はくにの名なり。汶水県はところの名なり。「魏末高斉之初猶在(ぎのすえこうせいのはじめなおいます)」といふは、「魏末」といふは、晨旦(しんたん、中国)の世の名なり。「末」はすゑといふなり。魏の世のすゑとなり。「高斉之初」は斉といふ世のはじめといふなり。「猶在」は、魏と斉との世になほいましきといふなり。「神智高遠」といふは、和尚(かしょう、曇鸞)の智慧すぐれていましけりとなり。「三国知聞」といふは、三国は魏と斉と梁とこの三つの世におはせしとなり。「知聞」といふは三つの世にしられきこえたまひきとなり。「洞暁衆経(どうぎょうしゅきょう)」といふは、あきらかによろづの経典をさとりたまふとなり。「独出人外」といふは、よろづの人にすぐれたりとなり。「梁国の天子」といふは、梁の世の王といふなり。蕭王(そうおう)の名なり。「恒向北礼(つねにきたにむかいてらいしたてまつる)」といふは、梁の王つねに曇鸞の北のかたにましましけるを、菩薩と礼したてまつりたまひけるなり。「註解往生論」といふは、この『浄土論』をくわしう釈したまふを『註論』と申す論をつくりたまへるなり。「裁成両巻(さいじょうりょうかん)」といふは、『註論』は二巻になしたまふなり。「釈迦才(しゃくのかざい)の三巻の浄土論」といふは、「釈迦才」と申すは、「釈」といふは釈尊の御弟子とあらはすことばなり。「迦才」は浄土宗の祖師なり。智者にておはせし人なり。かの聖人(迦才)の三巻の『浄土論』をつくりたまへるに、この曇鸞の御ことばあらはせりとなり。

 「釈の曇鸞法師は并州の汶水県の人也」。并州は国の名です。汶水県は地方の名です。「魏の末高斉の初め猶いましき」の「魏」とは、中国の時代の名です。「末」は「すえ」ということ、魏の世の末ということです。「高斉の初め」とは、斉の世のはじめということです。「猶いましき」とは、魏と斉の世にご在世でしたということです。「神智高遠にして」とは、曇鸞和尚の智慧が優れていたということです。「三国に知聞す」の「三国」とは、魏と斉と梁の三国で、この三つの世においでになったということです。「知聞す」とは、その三つの世にその名が知られていたということです。「洞(あき)らかに衆経を暁(さと)ること」とは、あらゆる経典を明らかに理解されていたということです。「独り人外に出でたり」とは、あらゆる人より優れていたということです。「梁国の天子」とは、梁の世の王ということで、蕭王のことです。「恒に北に向かひて」とは、梁王が、曇鸞が北の方におられますので、いつも北に向かって菩薩として礼拝しておられたということです。「往生論を註解して」とは、世親菩薩の『浄土論』を詳しく註解して『往生論註』という書物をお書きになりましたということです。「両巻にことわりを成す」とは、『往生論註』を二巻仕立てにされたということです。「釈迦才の三巻の浄土論」の「釈」は釈尊のお弟子であることを表すことばです。「迦才」は浄土宗の祖師で、智慧の優れた人です。その迦才が三巻の『浄土論』を書かれ、そこに曇鸞大師についてのこのことばが載せられています。

 これは曇鸞の伝記ですので、読むだけにとどめたいと思います。

タグ:親鸞を読む
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