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本文25 [はじめての『尊号真像銘文』(その114)]

(4)本文25

 またいはく、「夫速欲離生死(ふそくよくりしょうじ)」といふは、それすみやかにとく生死をはなれんとおもへとなり。「二種勝法中且閣聖道門(にしゅしょうぼうちゅうしゃかくしょうどうもん)」といふは、「二種勝法」は聖道・浄土の二門なり。「且閣聖道門」は、「且閣」はしばらくさしおけとなり。しばらく聖道門をさしおくべしとなり。「選入浄土門(せんにゅうじょうどもん)」といふは、「選入」はえらびていれとなり。よろづの善法のなかに、選びて浄土門にいるべしとなり。「欲入浄土門(よくにゅうじょうどもん)」といふは、浄土門に入らむと欲(おも)はばといふなり。「正雑二行中且抛諸雑行(しょうぞうにぎょうちゅうしゃほうしょぞうぎょう)」といふは、正雑二行二つのなかに、しばらくもろもろの雑行をなげすてさしおくべしとなり。「選應帰正行(せんおうきしょうぎょう)」といふは、選びて正行に帰すべしとなり。「欲修於正行正助二業中猶傍於助業(よくしゅおしょうぎょうしょうじょにごうちゅうゆぼうおじょごう)」といふは、正行を修せむと欲はば、正行・助業二つのなかに助業をさしおくべしとなり。「選應専正定(せんおうせんしょうじょう)」といふは、選びて正定の業をふたごころなく修すべしとなり。「正定之業者即是称仏名(しょうじょうしごうしゃそくぜしょうぶつみょう)」といふは、正定の業因は、すなわちこれ仏名をとなふるなり。正定の因といふは、かならず無上涅槃のさとりをひらくたねと申すなり。「称名必得生依仏本願故(しょうみょうひつとくしょうえぶつほんがんこ)」といふは、御名を称するは、かならず安楽浄土に往生を得るなり。仏の本願によるがゆゑなりとのたまへり。(本文26につづく)

 「それすみやかに生死を離れんと欲はば」とは、それすみやかに早く生死を離れようと思いなさいということです。「二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣(さしお)きて」の「二種の勝法」とは、聖道門と浄土門の二門です。「しばらく聖道門を閣きて」の「しばらく閣きて」は、しばらくさしおきなさいということ、しばらく聖道門をさしおくべきだということです。「選んで浄土門に入れ」の「選んで入れ」は、選んで入りなさいということ、あらゆる教えの中で、選んで浄土門に入るべきだということです。「浄土門に入らんと欲はば」とは、浄土門に入ろうと思えばということです。「正雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行をなげうちて」とは、正行と雑行二つある中で、しばらくもろもろの雑行をなげすてさしおくべきだということです。「選んで正行に帰すべし」とは、選んで正行に帰しなさいということです。「正行を修せんと欲はば、正助二業のなかに、なほ助業を傍らにして」とは、正行をなそうと思えば、正行と助業二つの中で、助業をさしおくべきだということです。「選んで正定をもつぱらにすべし」とは、正定の業を選んで、ふたごころなくそれを行いなさいということです。「正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり」と言いますのは、正定の業因は仏名を称えることだということです。正定の業因とは、それがかならず無上の悟りをひらく種となるということです。「称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに」とは、仏のみ名を称えることで、かならず安楽浄土へ往生できるというのです。それは仏の本願によるからだと。

タグ:親鸞を読む
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