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本文32 [はじめての『尊号真像銘文』(その141)]

          第11回 本願の名号は正定の業

(1)本文32

和朝愚禿釈親鸞『正信偈』文
 本願名号正定業 至心信楽願為因 本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。
 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就 等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。

 名号は往生のための正しい行であり、また至心信楽の願(第十八願)により賜った信心が往生のための因であります。
 そして必至滅度の願(第十一願)が成就して、今生において等覚(正定聚)となり、必ず仏の悟りをひらいて涅槃に至ることができるのです。

 「本願名号正定業(ほんがんみょうごうしょうじょうごう)」といふは、選択本願の行といふなり。「至心信楽願為因(ししんしんぎょうがんにいん)」といふは、弥陀如来回向の真実信心なり。この信心を阿槈菩提(あのくぼだい)の因とすべしとなり。「成等覚証大涅槃(じょうとうがくしょうだいねはん)」といふは、「成等覚」といふは正定聚の位なり。この位を龍樹菩薩は「即時入必定(そくじにゅうひつじょう)」とのたまへり。曇鸞和尚は「入正定之数(にゅうしょうじょうしじゅ)」とをしへたまへり。これはすなはち弥勒の位とひとしとなり。「証大涅槃」と申すは、「必至滅度の願成就(ひっしめつどのがんじょうじゅ)」のゆゑに、かならず大般涅槃をさとるとしるべし。「滅度」と申すは、大涅槃なり。

 「本願の名号は正定の業なり」とは、名号が選択本願の行であるということです。「至心信楽の願を因とす」とは、弥陀如来が回向してくださった真実の信心のことです。この信心こそがこの上ない悟りの因であるということです。「等覚を成り大涅槃を証することは」の「等覚を成り」とは、正定聚の位に入ることです。この位に入ることを龍樹菩薩は「すなわちの時に必定に入る」と言われました。また曇鸞和尚は「正定の数に入る」と教えてくださいました。この位は弥勒の位にひとしいとされます。「大涅槃を証する」とは、「必至滅度の願成就」のゆえに、かならず大いなる涅槃の悟りを得るということです。滅度とは大いなる涅槃のことです。

タグ:親鸞を読む
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