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本文36 [はじめての『尊号真像銘文』(その160)]

(10)本文36

 獲信見敬得大慶 即横超截五悪趣  信を獲て見て敬ひ大慶を得れば、すなはち横に五悪趣を超截す。

 本願に遇うことができ、大いなる喜びに包まれれば、そのとき横さまに五つの迷いの世界を超えることができるのです。

 「獲信見敬得大慶(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき)」といふは、この信心をえておほきによろこびうやまふ人といふ也。「大慶」は、おほきにうべきことをえてのちによろこぶといふなり。「即横超截五悪趣(そくおうちょうぜつごあくしゅ)」といふは、信心をえつればすなわち横に五悪趣をきるなりとしるべしとなり。「即横超」は、「即」はすなわちといふ、信をうる人はときをへず日をへだてずして正定聚の位に定まるを即といふなり。「横」はよこさまといふ、如来の願力なり、他力を申すなり。「超」はこえてといふ、生死の大海をやすくよこさまに超えて、無上大涅槃のさとりをひらくなり。信心を浄土宗の正意としるべきなり。このこころをえつれば、「他力には義のなきをもて義とす」と、本師聖人の仰せごとなり。「義」といふは、行者のおのおののはからふこころなり。このゆゑにおのおのはからふこころをもたるほどをば自力といふなり。よくよくこの自力のやうをこころふべしとなり。

 「信を獲て見て敬ひ大慶を得れば」と言いますのは、この信心を得て大いに喜び敬う人ということです。大慶とは、うべきことをえたのちに、それを大いに喜ぶということです。「すなはち横に五悪趣を超截す」と言いますのは、信心を得ますと、その時直ちに横に五悪趣-地獄、餓鬼、畜生、人間、天-を断ち切るということです。「即横超」と言いますのは、即はすなわちということです。信心を得た人は、時を経ず、日を隔てずに正定聚の位に定まることを即と言うのです。横は、よこさまにということです。如来の願力によるということで、それを他力というのです。超は、こえてということです。生死の大海をたやすくよこさまに超えて、この上ない涅槃の悟りをひらくのです。信心こそ浄土宗の根本であるということです。このことを心得れば他力には義のないことが義であると、法然聖人は言われています。義とは、行者がそれぞれにはからうこころをもつことを指します。ですから、それぞれにはからうこころを持っていることを自力と言うのです。この自力のあり方をよくよく心得るべきです。

タグ:親鸞を読む
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