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第4段本文 [親鸞の手紙を読む(その28)]

(14)第4段本文

 最後の第4段です。

 仏恩のふかきことは、懈慢(けまん)・辺地に往生し、疑城・胎宮に往生するだにも、弥陀の御ちかひのなかに、第十九・第二十の願の御あはれみにてこそ、不可思議のたのしみにあふことにて候へ。仏恩のふかきこと、そのきはもなし。いかにいはんや、真実の報土へ往生して大涅槃のさとりをひらかんこと、仏恩よくよく御案ども候ふべし。これさらに性信坊・親鸞がはからひまうすにはあらず候ふ。ゆめゆめ。

 (現代語訳) 仏恩が深いことは、懈慢・辺地、疑城・胎宮とよばれる仮の浄土に往生することにもあらわれており、弥陀のお誓いの中に第19願、第20願を設けて下さり、自力の信心の人も思いはかることできない楽しみに会うことができるのです。このように仏恩の深いことは際限もありません。まして、真実の浄土へ往生して無上の悟りを開かせていただくのは、仏恩によることをよくよくお考えください。以上のことは、決して性信坊と親鸞がはからって申しているのではありません。ゆめゆめお疑いのなきよう。

 第3段で一旦「あなかしこあなかしこ」と締めくくられ、追伸のかたちでこの第4段が書かれています。
 いちばん最後に「これさらに性信坊・親鸞がはからひまうすにはあらず候ふ。ゆめゆめ」とあるのが気になります。こんなことを言わなければならないということは、やはり当時の念仏衆のあいだに何か根深い疑惑が渦巻いていたのだろうと推測させます。前に言いましたように(2)、この手紙は書写され、性信房のもとにあった横曽根門徒たちのあいだに広く流布されていたようですが、門徒たちの動揺を鎮めようとして書かれたものであることは疑いありません。

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