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第4通本文 [親鸞の手紙を読む(その39)]

(10)第4通本文

 『末燈鈔』の第4通です。

 これは経の文なり。『華厳経』にのたまはく、「信心歓喜者 与諸如来等(しんじんかんぎしゃ よしょにょらいとう)」といふは、「信心よろこぶひとはもろもろの如来とひとし」といふなり。「もろもろの如来とひとし」といふは、信心をえてことによろこぶひとは、釈尊のみことには、「見敬得大慶 則我善親友(けんきょうとくだいきょう そくがぜんしんう)」とときたまへり。また弥陀の第十七の願には「十方世界 無量諸仏 不悉恣嗟 称我名者 不取正覚(じゅっぽうせかい むりょうしょぶつ ふしつししゃ しょうがみょうしゃ ふしゅしょうがく)」と誓ひたまへり。願成就の文には、「よろづの仏にほめられ、よろこびたまふ」とみえたり。すこしも疑ふべきにあらず。これは「如来とひとし」といふ文どもをあらはししるすなり。

 (現代語訳)これは経典の文です。『華厳経』に「信心歓喜する者はもろもろの如来とひとし」と説かれていますのは、信心を得て喜ぶ人は、もろもろの如来とひとしいということです。もろもろの如来とひとしいことは、『無量寿経』では「見て敬い得て大いに喜ぶならば、その人はわたしの善き親友である」と説かれています。また弥陀の第十七願には「十方世界の無量の諸仏が悉くほめたたえてわたしの名を称えないなら、わたしは悟りを開きません」と誓われています。その願が成就されたことを述べる文には、すべての仏にほめられお喜びになっているとあります。少しも疑うことはありません。これらは、信心を得た人は如来にひとしいと説かれた文を抜き出したものです。

 この手紙には先の第3通と同じ、正嘉元年丁巳(ひのとみ、1257年、親鸞85歳)十月十日の日付があり、内容も同趣旨で「信心のひとは如来とひとし」ということを経文にあたって述べています。そしてこの手紙は真仏房に宛てられています。第2回に関東の念仏衆はおおまかに横曽根門徒、高田門徒、鹿島門徒に分かれると言いましたが、第3通の宛先である性信房は横曽根門徒(下野国横曽根)の中心人物であるのに対して、第4通の宛先の真仏房は高田門徒(下野国高田)のリーダーです(今日の真宗高田派の祖です)。

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