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親鸞の手紙を読む(その75) ブログトップ

第2段本文 [親鸞の手紙を読む(その75)]

(4)第2段本文

 まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。もとは無明の酒に酔(え)ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身をなりておはしましあうて候ふぞかし。
 しかるに、なほ酔ひもさめやらぬに、かさねて酔ひをすすめ、毒も消えやらぬに、なほ毒をすすめられ候ふらんこそ、あさましく候へ。煩悩具足の身なればとて、こころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいふまじきことをもゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしと申しあうて候ふらんこそ、かへすがへす不便におぼえ候へ。酔ひもさめぬさきに、なほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし。薬あり毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ候ふ。

 (現代語訳) まず皆さん方は、昔は弥陀のお誓いも知らず、阿弥陀仏の御名を称えることもありませんでしたが、釈迦・弥陀の御方便にもよおされて、今は弥陀のお誓いを聞き始められたところです。もとは無明の酒に酔いふして、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒を好んで食べあっておられましたが、仏のお誓いを聞き始めてから、無明の酔いも少しすつ醒め、三毒も少しずつ好まないようになり、阿弥陀仏の薬をいつも好む身となってこられたはずです。
 しかるに、まだ酔いも醒めきらないのに、また酔いを重ね、毒も消えきらないのに、なお毒を飲もうとしておられるようですが、浅ましいことです。煩悩具足の身だからと言って、心にまかせて、身はしてはいけないことをし、口は言ってはいけないことを言い、心は思ってはいけないことを思って、どのようにでも心のままに振る舞っていいのだと言いあっておられるようですが、返す返す哀れなことです。酔いもさめないうちになお酒を飲み、毒も消えないうちに、いよいよ毒を食べるようなものです。薬があるから毒を好め、などということはあってはならないことです。


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