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『親鸞聖人御消息集』第7通第1段本文 [親鸞の手紙を読む(その85)]

            第8回 世のなか安穏なれ

(1)『親鸞聖人御消息集』第7通第1段本文

 六月一日の御文、くわしくみ候ひぬ。さては鎌倉にての御訴へのやうは、おろおろうけたまはりて候ふ。この御文にたがはずうけたまはりて候ひしに、別のことはよも候はじとおもひ候ひしに、御くだりうれしく候ふ。
 おほかたは、この訴へのやうは、御身ひとりのことにはあらず候ふ。すべて浄土の念仏者のことなり。このやうは、故聖人の御時、この身どものやうやうに申され候ひしことなり。こともあたらしき訴へにても候はず。性信房ひとりの沙汰あるべきことにはあらず。念仏申さんひとは、みなおなじこころに御沙汰あるべきことなり。御身をわらひまうすべきことにはあらず候ふべし。念仏者のものにこころえぬは、性信房のとがに申しなされんは、きはまれるひがごとに候ふべし。念仏申さんひとは、性信房のかたうどにこそなりあはせたまふべけれ。母・姉・妹なんどやうやうに申さるることは、ふるごとにて候ふ。さればとて、念仏をとどめられ候ひしが、世に曲事(くせごと)のおこり候ひしかば、それにつけても念仏をふかくたのみて、世のいのりにこころをいれて、申しあはせたまふべしとぞおぼえ候ふ。

 (現代語訳)六月一日付けのお手紙、詳しく読ませていただきました。さて鎌倉での訴訟の様子は、おおよそ承っておりました。このお手紙と違わないことを承っておりまして、大変なことになることはなかろうとは思っておりましたが、無事にお帰りになられて嬉しく思っております。
 およそこの訴えは、あなたお一人のことではありません。浄土を願う念仏者すべてに関わることです。この訴えのようなことは、法然上人の時に、私などもいろいろに言われてきたことです。取り立てて新しい訴えではありません。あなた一人に関わる訴訟ではありません、念仏申しているみんなに対する訴訟です。あなたを笑うことでは決してありません。念仏者の中でも心得のない者が、あなたの罪にしてしまうなら、とんでもない誤りです。念仏する人たちはあなたの味方にこそなるべきです。あなたの母親や姉、妹などもさまざまに言われているようですが、これも昔からよくあることです。と言いましても、念仏が停止されたことがもととなり、世にとんでもない災難が起こりましたので、それにつけても念仏を深く頼んで、世の安穏を祈って念仏すべきと思います。

タグ:親鸞を読む
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