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親鸞の手紙を読む(その89) ブログトップ

第2段本文 [親鸞の手紙を読む(その89)]

(5)第2段本文

 御文のやう、おほかたの陳状、よく御はからひども候ひけり。うれしく候ふ。詮じ候ふところは、御身にかぎらず、念仏申さんひとびとは、わが御身の料はおぼしめさずとも、朝家の御ため、国民のために、念仏を申しあはせたまひ候はば、めでたう候ふべし。往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏候ふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために、御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。よくよく御案候ふべし。このほかは、別の御はからひあるべしとはおぼへず候ふ。
 なをなを疾く御くだりの候ふこそ、うれしう候へ。よくよく御こころにいれて、往生一定とおもひさだめられ候ひなば、仏の御恩をおぼしめさんには、異事(ことごと)は候ふべからず、御念仏をこころにいれて申させたまふべしとおぼえ候ふ。あなかしこ、あなかしこ。

 (現代語訳) お手紙にあります訴訟の答弁は、配慮がよく行き届いていると思います。嬉しく思います。結局のところ、あなたに限らず、念仏する人たちは、自分のことはおいても、朝廷のため国民のために念仏を申されましたら結構だと思います。往生を確信できない人は、まず自分の往生を考えて念仏するべきです。しかし、自分の往生は確かだと思われる人は、仏のご恩を思うにつけ、その報恩のために心を込めて念仏し、世の中が平穏であれ、仏法が広まれと思うのがよろしいと思います。よくよくお考えください。これ以外のことは格別にお考えになることはないと思います。
 それにしましても、無事に早くお帰りになられたことは嬉しいことです。よくよく往生は確かだとこころえられましたら、仏のご恩をしみじみと感じられ、それ以外のことは念頭になく、念仏を心から申されるのがよろしいと思います。謹言。

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