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『親鸞聖人御消息集』第9通 [親鸞の手紙を読む(その94)]

        第9回 よろづの仏・菩薩をかろしめまいらせ

(1)『親鸞聖人御消息集』第9通

 先回につづいて『親鸞聖人御消息集』の第9通を読みます。3段に分け、まず第1段。

 まづよろづの仏・菩薩をかろしめまゐらせ、よろづの神祇・冥道(みょうどう)をあなづりすてたてまつると申すこと、この事ゆめゆめなきことなり。世々生々(せせしょうじょう)に無量無辺の諸仏・菩薩の利益によりて、よろづの善を修行せしかども、自力にては生死を出でずありしゆゑに、曠劫多生(こうごうたしょう)のあひだ、諸仏・菩薩の御すすめによりて、いままうあひがたき弥陀の御ちかひにあひまゐらせ候ふ御恩をしらずして、よろづの仏・菩薩をあだに申さんは、ふかき御恩をしらず候ふべし。仏法をふかく信ずるひとをば、天地におはしますよろづの神は、かげのかたちに添へるがごとくして、まもらせたまふことにて候へば、念仏を信じたる身にて、天地の神をすてまうさんとおもふこと、ゆめゆめなきことなり。神祇等だにもすてられたまはず。いかにいはんや、よろづの仏・菩薩をあだにも申し、おろかにおもひまゐらせ候ふべしや。よろづの仏をおろかに申さば、念仏を信ぜず、弥陀の御名をとなへぬ身にてこそ候はんずれ。

 (現代語訳) まず、諸々の仏や菩薩を軽んじたり、諸々の天の神や地の神を侮ったりすることは、決してあってはなりません。これまで数知れない諸仏・菩薩のお力を頼りにさまざまな修行をしてきましたが、自力では生死の迷いから脱出できなかったものですから、また気が遠くなるほど長い間、諸仏・菩薩のお勧めをいただきまして、いま遇いがたい弥陀のお誓いにお遇いすることができたのです。その御恩を知らずに、すべての仏や菩薩をあだやおろそかにしますことは、深い御恩が分かっていないということに他なりません。また、諸々の天の神、地の神は、仏法を深く信じるものを、かげのかたちに添うように護ってくださっているのですから、念仏を信じているものが、天の神、地の神を捨てるなどということは、決してあってはなりません。神々ですら捨てることができないのですから、まして諸々の仏や菩薩をあだや疎かにすることができましょうや。諸々の仏を疎かにするということは、念仏を信じず、弥陀のみ名を称えないということだと言わなければならないでしょう。

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