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『恵信尼消息』第3通 [親鸞の手紙を読む(その114)]

         第11回 六角堂に百日籠らせたまひて

(1)『恵信尼消息』第3通

 親鸞の手紙から妻・恵信尼の手紙に移ります。大正十年に西本願寺の蔵から恵信尼が末娘の覚信尼宛てに書いた手紙の束が発見され、自分自身についてほとんど書き残さなかった親鸞の生きた姿を垣間見ることができるということで注目されることになりました。建長八年付けの二通は下女の譲り状ですので除きますと、全部で八通になりますが、そのなかから二通を読みたいと思います。
 その一通目ですが、2段に分け、まずはその第1段。

 去年(こぞ)の十二月一日の御文(おんふみ)、同二十日あまりに、たしかにみ候ひぬ。なによりも殿(親鸞)の御往生、なかなかはじめて申におよばず候ふ。
 山を出でて、六角堂に百日籠らせたまひて、後世をいのらせたまひけるに、九十五日のあか月(暁)、聖徳太子の文を結びて、示現にあづからせたまひて候ひければ、やがてそのあか月出でさせたまひて、後世のたすからんずる縁にあひまゐらせんと、たづねまゐらせて、法然上人にあひまゐらせて、また六角堂に百日籠らせたまひて候ひけるやうに、又百か日、降るにも照るにも、いかなるたいふ(大風)にも、まゐりてありしに、ただ後世のことは、よき人にもあしきにも、おなじやうに、生死出づべき道をば、ただ一すぢに仰せられ候ひしを、うけたまはりさだめて候ひしかば、「上人のわたらせたまはんところには、人はいかにも申せ、たとひ悪道にわたらせたまふべしと申すとも、世々生々(せせしょうじょう)にも迷ひければこそありけめ、とまで思ひまゐらする身なれば」と、やうやうに(様々に)人の申し候ひしときも仰せ候ひしなり。

 (現代語訳) 昨年の十二月一日のお手紙、同月の二十日過ぎに確かに読ませてもらいました。殿がめでたく往生なさいましたことは、いまさら申すまでもないことです。
 比叡山を下り、六角堂に百日間こもって後世をお祈りになりましたところ、その九十五日目の明け方に、聖徳太子が夢のなかに現れたまい、おことばをおかけになりましたので、その明け方に堂を出て、後世のたすかる縁にあいたいものと、法然上人のもとをおたずねになりました。法然上人にお会いすることができてからというものは、六角堂に百日こもられたのと同じように、また百日の間、降っても照っても、またどんなに大風でも通いつめられました。そして上人が、後世については、よき人も悪しき人も同じように生死の迷いを離れることができると一筋に仰せられましたのをしっかりとこころに受けとめられました。そうして、もはや上人の往かれるところへはどこなりと、たとえみんなが地獄や餓鬼などの悪道におちるに決まっていると申されましても、これまでずっと迷いの中にあった身だと思えば、たとえ悪道なりともついていこうと言われたことでした。

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