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序の第1段 [『教行信証』精読(その1)]

              第1回 難思の弘誓

(1)序の第1段

 何年かかるか分かりませんが、いや、最後まで読み通せるかどうかも分かりませんが、親鸞の主著である『教行信証』をご一緒に読んでまいりたいと思います。
 何年前になりますか、「はじめての『教行信証』」と銘打ち、親鸞自身の領解(自釈)の部分だけを拾い出して、一年かけて読んだことがありますが、今度は引用文も含め、全文をくまなく読もうと思います。引用文と言いましたが、この書物の正式名称は『顕浄土真実教行証文類』で、浄土の真実の教・行・証についての古今の文類を集成したものということですから、引かれている経・論・釈こそこの書の主賓です。親鸞はそうした文類から浄土の真実の教・行・証を「聞いている」のであり、ところどころにそこから自分が領解できたことを述べているだけですから、肝心の経・論・釈を省略したのでは親鸞がこの書物を著した趣旨に背くと言わなければなりません。
 この書物についての細々した説明は本文を読みながらするとしまして、早速読みはじめましょう。初年度の今年は「序」と「教巻」、そして「行巻」の半分を読む予定ですが、まずは「序」。これを3段に分け、その第1段。

 ひそかにおもんみれば、難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海を度する大船、無礙の光明は無明の闇(あん)を破する恵日なり。しかればすなはち、浄邦(じょうほう)縁熟して、調達(ちょうだつ、提婆達多)、闍世(じゃせ、阿闍世)をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰(あらわ)れて、釈迦、韋提(いだい、韋提希)をして安養を選ばしめたまへり。これすなはち権化(ごんけ)の仁(にん)斉しく苦悩の群萠(ぐんもう)を救済(くさい)し、世雄(せおう、釈尊)の悲まさしく逆謗闡提(ぎゃくほうせんだい)を恵まんと欲(おぼ)す。ゆゑに知んぬ、円融至徳の嘉号(かごう、名号)は悪を転じて徳をなす正智、難信金剛の信楽は疑をのぞき証を獲しむる真理なりと。しかれば、凡小修し易き真教、愚鈍往き易き捷径(せっけい)なり。大聖(だいしょう、釈迦)一代の教、この徳海にしくなし。

タグ:親鸞を読む
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