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王舎城の悲劇 [『教行信証』精読(その6)]

(6)王舎城の悲劇

 最初の一文にかなり手間取りましたが(それも道理で、この一文に浄土の教えが凝縮されています)、次の「しかればすなはち浄邦、縁熟して」から「まさしく逆謗闡提をめぐまんとおぼす」までの部分に進みます。
 ここには釈迦をはじめ、調達(提婆達多)・闍世(阿闍世)・韋提(韋提希)といった人物が登場します。この部分は『観無量寿経』の序分にも説かれる「王舎城の悲劇」をもとにして書かれています。マガダ国の都・王舎城で王子・阿闍世が父・頻婆沙羅王を牢に閉じ込め、殺害するという事件が起こります(これは釈迦の時代に実際にあったことのようです)。そしてこの事件の背景には、一旦は釈迦の弟子になりながら、のちに背き釈迦の教団を乗っ取ろうと企んだ釈迦の従弟・提婆達多が阿闍世に父王を殺害するよう唆すということがありました。
 みずからもわが子・阿闍世に殺されそうになる韋提希夫人が、釈迦に救いを求め、次のように訴えます、「世尊よ、われむかし、なんの罪ありてか、この悪子を生める。…ただ願わくは、世尊よ、わがために広く憂悩(うのう)なき処を説きたまえ。われ、まさに往生すべし」(『観経』)と。釈迦はこの韋提希の願いに応じて、「汝よ、いま知るやいなや。阿弥陀仏の、ここを去ること遠からざるを」(同)と浄土の教えを説きはじめます。それを親鸞は「浄邦(浄土、ここでは浄土の教え)、縁熟して調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業(往生浄土の行)、機あらはれて釈迦韋提をして安養をえらばしめたまへり」と述べているのです。
 最初の一文で、弥陀の本願は「難度海を度する大船」であり「無明の闇を破する慧日」であると述べた上で、「しかればすなはち」とつづけ、釈迦がこの弥陀の本願を韋提希夫人に説きはじめる因縁について述べているのです。弥陀の本願そのものは久遠のむかしからあるのですが、それを釈迦が人々に説くようになるのは、この王舎城の悲劇を機縁としてであるということです。親鸞は正信偈のなかで「如来所以興出世、唯説弥陀本願海(如来、世に興出したまふゆへは、ただ弥陀本願海を説かんとなり)」と述べていますが、釈迦がこの世に現れたもうた所以である弥陀の本願を説くことが、この悲劇をきっかけに成就したということになります。

タグ:親鸞を読む
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