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『教行信証』精読(その35) ブログトップ

本文3 [『教行信証』精読(その35)]

(10)本文3

 さて阿難の問いに釈迦が答えるくだりです。

 ここに世尊、阿難につげてのたまはく、諸天のなんぢを教へて来して仏に問はしむるや、みづから慧見をもつて威顔を問へるやと。阿難、仏にまうさく、諸天の来りてわれを教ふるものあることなけん。みづから所見をもつてこの義を問ひたてまつるならくのみと。仏ののたまはく、善いかな阿難、問へるところはなはだ快し。深き智慧、真妙の弁才をおこして、衆生を愍念(みんねん)せんとして、この慧義(えぎ)を問へり。如来、無蓋の大悲をもつて三界を矜哀(こうあい)したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して、群萠を拯(すく)ひ恵むに真実の利をもつてせんとおぼしてなり。無量億劫に値(もうあ)ひがたく見たてまつりがたきこと、なをし霊瑞華の時ありて時にいまし出づるがごとし。いま問へるところは饒益(にょうやく)するところ多し。一切の諸天・人民を開化(かいけ)す。阿難まさに知るべし、如来の正覚は、その智はかりがたくして、道御(どうご)したまふところ多し。慧見無碍にしてよく遏絶(あつぜつ)することなし」と。

 (現代語訳) そのとき世尊は阿難に反問されました、あなたは諸天の教えを受けて、いまの問いをおこされましたか、それともみずからの智恵でわたしの気高い顔つきのことを問われましたかと。阿難は答えました、諸天の教えによるのではなく、みずからの考えでそのことをお尋ねしましたと。仏が言われるには、よろしい阿難よ、あなたの問いは甚だ心地よいものです。深い智慧と巧みな弁才で、衆生のためを思いこの問いをおこされました。如来はこの上ない大悲の心で一切衆生を哀れんでくださいます。如来が世にお出ましになるのは、教えを説いて衆生を救い、弥陀の本願という真実の利益を施そうとしてのことです。そのときに遇い、如来をみたてまつるのがどれほど難いかは、たとえば三千年に一度咲くという優曇華の咲くときに遇うようなものです。あなたがいま問われたことは世の益となり、すべての衆生の眼をひらいてくれるものです。阿難よ、よく知るがよい、如来の悟りの智慧ははかりがたく、人々を導いてやみません。その智慧は何ものにも遮られず、滞ることもありません。

タグ:親鸞を読む
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