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『教行信証』精読(その38) ブログトップ

本文4 [『教行信証』精読(その38)]

       第4回 教巻(その2) これ如来興世の正説

(1)本文4

 『仏説無量寿経』(『大無量寿経』、略して『大経』とよばれる経典です)からの引文につづき、『無量寿如来会』から次の一節が引用されます。

 『無量寿如来会』にのたまはく、「阿難、仏にまうしてまうさく、世尊、われ如来の光瑞(こうずい)希有なるを見たてまつるがゆゑにこの念をおこせり。天等によるにあらずと。仏、阿難に告げたまはく、善いかな善いかな、なんぢいま快く問へり。よく微妙(みみょう)の弁才を観察して1、よく如来に如是の義を問ひたてまつれり。なんぢ一切如来・2・正等覚3(しょうとうがく)および大悲に安住して群生を利益せんがために、優曇華(うどんげ)の希有なるがごとくして大士世間に出現したまへり。ゆゑにこの義を問ひたてまつる。またもろもろの有情を哀愍し利楽(りらく)せんがためのゆゑに、よく如来に如是の義を問ひたてまつれり」と。以上
 注1:「よく微妙の弁才を観察して」では意味が通りませんから、「よく観察し、微妙の弁才をもて」と読むべきでしょう。
 注2:「応」は「応供(おうぐ)」の略、供養を受けるにあたいするものという意味で如来のこと(如来十号の一)。
 注3:等正覚とも、正徧知ともいい、これも如来のこと(如来十号の一)。

 (現代語訳) 『無量寿如来会』には次のように説かれています。「阿難が仏に言われるには、わたしは如来が光り輝かれるさまをわが目で見ましてこのように思ったのでありまして、天などの教えによるのではありませんと。仏が阿難に言われるに、よろしい、よろしい、あなたの問いは実に心地よいものです。よく観察し、すばらしい弁才でこのようなことをお尋ねになりました。すべての如来はこの上ない悟りと大いなる慈悲の境地に安住しておられ、一切衆生を救わんがために、優曇華が稀に花を咲かせるように、この世に出世されるのですが、あなたは奇しくもその場に立ち会われたからこそ、このような問いを起こされたのです。またあなたはもろもろの有情を哀れみ、そのこころ安らかならしめんがためにこのことをお尋ねになったのです」と。

タグ:親鸞を読む
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