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『教行信証』精読(その44) ブログトップ

本文7 [『教行信証』精読(その44)]

(7)本文7

 憬興という人ですが、7世紀後半の新羅の法相宗の僧で、『大経』の注釈書である『述文賛』をはじめ、多くの経論の注釈を著しました。親鸞はここだけではなく「行巻」や「真仏土巻」に『述文賛』の文を引いています。
 この文は親鸞が『大経』からの引いた文(本文2と本文3)についての注釈と言えます。まず阿難が釈迦の威顔を讃えて「今日世尊、奇特の法に住したまへり。今日世雄、仏の所住に住したまへり。今日世眼、導師の行に住したまへり。今日世英、最勝の道に住したまへり。今日天尊、如来の徳を行じたまへり」と述べるところ、いわゆる五徳瑞現の一つひとつについてその意味を解説しています。そして『大経』からの引文の最後のところで釈迦が述べることば、「阿難まさにしるべし、如来の正覚は、その智量りがたくして、導御したまふところ多し。慧見無碍にしてよく遏絶(あつぜつ)することなし」の「阿難まさにしるべし、如来正覚は」が五徳瑞現の第一「奇特の法」、「慧見無碍にして」が第四の「最勝の道」、「よく遏絶することなし」が第五の「如来の徳」にあたると述べているのです。
 これはまあサッと読むだけにしまして、「教巻」末尾の結論部分に進みましょう。

 しかればすなはち、これ真実の教を顕す明証(みょうしょう)なり。まことにこれ、如来興世の正説、奇特最勝の妙典、一乗究竟(くきょう)の極説、速疾円融の金言、十方称讃の誠言(じょうごん)、時機純熟の真教なりと、知るべしと。

 (現代語訳) これまで引用してきました経文からしまして、『大無量寿経』こそが真実の教であることが明らかです。『大無量寿経』に説かれる弥陀の本願と名号の教えこそ、釈迦出世の本懐の教えであり、したがってこの経典はこの上なく勝れたものであり、その教えはすべての人が乗ることのできる窮極の教えであり、速やかに欠けるところなく功徳が満たされることばであり、十方の諸仏から称賛されることばであり、そしてこの末法の世と人々に適した真実の教えです。

タグ:親鸞を読む
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