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『教行信証』精読(その62) ブログトップ

本文2 [『教行信証』精読(その62)]

(4)本文2

 さらに『平等覚経』から引用されます。

 『無量清浄平等覚経』の巻上にのたまはく、「われ作仏せん時、わが名をして八方上下無数の仏国に聞かしめん。諸仏おのおの弟子衆のなかにして、わが功徳・国土の善を嘆ぜん。諸天・人民・蠕動の類、わが名字を聞きて、みなことごとく踊躍せんもの、わが国に来生せしめん。しからずはわれ作仏せじと。われ作仏せん時、他方仏国の人民、前世に悪のためにわが名字を聞き、およびまさしく道のために、わが国に来生せんと欲(おも)はん。寿(いのち)終へてみなまた三悪道に更(かえ)らざらしめて、すなはちわが国に生れんこと、心の所願にあらん。しからずはわれ作仏せじと。(本文3につづく)

 (現代語訳) 『無量清浄平等覚経』の巻上にこうあります、「わたしが仏になるときは、わが名を世界中の仏国に聞こえるようにしたい。それぞれの国の諸仏がその弟子衆に、わたしの功徳、わが国の素晴らしさを称嘆するでしょう。天や人間、虫たちの類いまで、わたしの名を聞いて歓喜踊躍するものは、みなことごとくわがくにに往生させましょう。さもなければ仏となりません。わたしが仏となるとき、他の仏国の人間たちで、前世に悪が縁となってわが名を聞いたものも、また道をもとめてわがくにに生まれたいと思ったものも、いのち終えてのちにまた地獄・餓鬼・畜生に戻らないようにして、願いの通りにわがくにに往生させましょう。さもなければ仏となりません」と。

 『平等覚経』も二十四願経ですが、そこから二願が引かれています。前半が第十七願で、後半が第十九願です。『大経』と照らし合わせますと、前半の第十七願が『大経』の第十七願と第十八願を合わせたものに当たり、後半の第十九願が『大経』の第二十願に相当します。ひとつ前に引かれた『大阿弥陀経』の第四願と『平等覚経』の第十七願がほとんど同じであることはすぐ分かりますが、ここではそれに加えて『大経』の第二十願に相当する第十九願が引かれているわけです。

タグ:親鸞を読む
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