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『教行信証』精読(その67) ブログトップ

本文4 [『教行信証』精読(その67)]

(9)本文4

 さらに『平等覚経』からの引用がつづきます。

 かくのごときの人、仏の名(みな)を聞きて、快く安穏にして大利を得ん。われらが類この徳を得ん。もろもろのこの刹(くに)に好きところを獲ん。無量覚その決を授けん。われ前世に本願あり。一切の人、法を説くを聞かば、みなことごとくわが国に来生せん。わが願ずるところみな具足せん。もろもろの国より来生せんもの、みなことごとくこの間(けん)に来到して、一生に不退転を得んと。すみやかに疾く超えて、すなはち安楽国の世界に到るべし。無量光明土に至りて、無数の仏を供養せん。この功徳あるにあらざる人は、この経の名を聞くことを得ず。ただ清浄に戒を有(たも)てるもの、いまし還りてこの正法を聞く。悪と憍慢(きょうまん)と蔽(へい)と懈怠(けだい)のものは、もつてこの法を信ずること難し。宿世の時、仏を見たてまつれるもの、楽(この)んで世尊の教を聴聞せん。人に命、希(まれ)にうべし。仏、世にましませどもはなはだ値(もうあ)ひがたし。信慧(しんね)ありて致るべからず。もし聞見せば精進して求めよ。この法を聞きて忘れず、すなはち見て敬ひ得て大きに慶ばば、すなはちわが善き親厚なり。これをもつてのゆゑに道意を発せよ。たとひ世界に満てらん火にも、このなかを過ぎて法を聞くことを得ば、かならずまさに世尊となりて、まさに一切生老死を度せんとすべし」と。以上

 (現代語訳) (世尊が菩薩たちに言われるには)縁あって弥陀の名号を聞くことができたものは、こころに喜びと安穏がおとずれ、この上ない利益をえるでしょうと。(それを聞いた菩薩たちに言うには)われらは弥陀の名号を聞くことでこの功徳をえられ、われらの国においても弥陀の浄土のような善い世界をえることができるでしょうと。(世尊が阿弥陀仏について言われるには)阿弥陀仏はあなたがたに必ず仏になるとの約束をされるでしょう。阿弥陀仏は次のように仰せられました、「わたしは前世に本願をたてました、わが名号を聞くことができた人は、みなことごとくわが国に来生し、わたしの願いが成就されるでしょう。さまざまな国から来生するものは、みなこの国に到り、この生において不退転の位につくことができるでしょう」と。(世尊が浄土往生を勧めてさらに言われるに)すみやかに弥陀の安楽国に往生しよう。そして無数の諸仏を供養しよう。この功徳のない人は、この経の名を聞くことができません。また清浄に戒をたもったものでなければいまこの教えを聞くことはかないません。邪悪なもの、おごりたかぶるもの、自らに閉じこもり聞こうとしないもの、怠りなまけるものはこの教えを信じることが難しい。過去の世に仏に遇うことができたものは、すすんでこの世尊の教えを聞くでしょう。人のいのちをえることは難しく、仏が世におられても遇うことははなはだ難しい。遇うことはあっても信じる智慧をもつことは容易なことではない。もし仏法に遇うことができたなら、精進して仏道を求めなさい。この法を聞くことができ、しかも忘れず、見て敬い、得て大いに喜ぶ人はわたしのよき親友です。だから菩提心をおこしなさい。たとい大火が世界に満ちていても、そのなかをすぎて法を聞くことができましたら、かならず仏となることができ、一切衆生を救うことができるのです、と。

タグ:親鸞を読む
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