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本文2 [『教行信証』精読(その92)]

(5)本文2

 今度は「浄地品」からの引用です。

 またいはく、「〈信力増上〉はいかん。聞見するところありて、かならず受けて疑なければ増上と名づく、殊勝と名づくと。
 問うていはく、二種の増上あり。一には多、二には勝なり。いまの説なにものぞやと。
 答へていはく、このなかの二事ともに説かん。菩薩初地に入ればもろもろの功徳の味はひを得るがゆゑに、信力転増す。この信力をもつて諸仏の功徳無量深妙なるを籌量(ちゅうりょう、思いはかる)してよく信受す。このゆゑにこの心また多なり、また勝なり。〈深く大悲を行じ〉とは、衆生を愍念(みんねん、哀れむ)すること骨体に徹入するがゆゑに名づけて深とす。一切衆生のために仏道を求むるがゆゑに名づけて大とす。慈心はつねに利事(衆生利益)をもとめて衆生を安穏す。慈に三種あり」と。乃至

 (現代語訳) また「信力が増上する」というのはどういうことでしょうか。お答えしましょう。聞き、また見るところをしっかり受け止め、疑うことがないのを増上といい、殊勝というのです。
 増上には「多」という意味と「勝」という意味がありますが、いまの場合はどちらでしょう。
 お答えします。どちらもです。菩薩は必定に入りますと、さまざまな功徳の味わいをえますから、信じる力がますます増えます。その信力によって諸仏の功徳のこの上なく深く妙なることを思いはかりますから、よく心に受けとめることになります。ですから多であるとともに勝でもあるのです。「深く大悲を行じて」とは、菩薩が衆生を哀れに思うこころが骨身に徹していますから「深く」と言うのです。一切の衆生のために仏道をもとめますから「大」悲と言うのです。菩薩の慈悲のこころはいつも衆生のためを思い、衆生を安穏にしようとしているのです。慈悲に三種あります。

 これは「信力転増上、深行大悲心(信力うたた増上し、深く大悲の心を行じて)」という『華厳経』の文を龍樹が注釈しているところです。

タグ:親鸞を読む
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