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『教行信証』精読(その103) ブログトップ

本文1 [『教行信証』精読(その103)]

          第9回 遇ふて空しく過ぐるものなし

(1)本文1

 龍樹『十住論』につづいて、天親『浄土論』からの引用です。

 浄土論にいはく、「われ修多羅(しゅたら、「スートラ」、経のこと。ここでは浄土三部経)真実功徳相によりて、願偈総持(がんげそうじ、願偈とは『浄土論』前半の「願生偈」のこと、総持とは「陀羅尼」のことで、教えのエッセンスが収まった章句)を説きて、仏教と相応せりと。仏の本願力を観ずるに、遇(もうお)うて空しく過ぐるものなし。よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ」と。
 またいはく、「菩薩は四種の門(五念門のなか、礼拝門、讃嘆門、作願門、観察門)に入りて自利の行成就したまへりと。知るべし。菩薩は第五門(五念門の第五、回向門。自分の修めた功徳を衆生に振り向け、ともに浄土往生を願うこと)に出でて回向利益他の行成就したまへりと、知るべし。菩薩はかくのごとく五門の行を修して自利利他してすみやかに阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、仏の無上のさとり)を成就することを得たまへるがゆゑに」と。抄出

 (現代語訳) 浄土論にこうあります、「わたしは浄土三部経の真実の教えにもとづき、願生偈をあらわし、仏の教えにしたがいたいと思います。弥陀仏の本願力に遇うことができますと、これまでのように迷いの世界を空しく過ぎることはありません。すみやかにすばらしい功徳の宝海に満たされるのです」と。
 またこうも言われます、「菩薩は礼拝・讃嘆・作願・観察の自利の行を成し遂げられました。そしてさらに第五の門を出て、自らの功徳を衆生に廻向し利他の行を成し遂げられたのです。このようにして菩薩は五つの自利および利他の行を成就して仏の無上の悟りをえられたのです」と。

タグ:親鸞を読む
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