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五念門と五功徳門 [『教行信証』精読(その105)]

(3)五念門と五功徳門

 天親の次に取り上げられる曇鸞は『浄土論』の注釈書である『浄土論註』を著し、そこにおいて『浄土論』冒頭の「世尊、われ一心に尽十方無碍光如来に帰命し奉りて、安楽国に生ぜんと願ず」という一文のなかに五念門のなかの礼拝門、讃嘆門、作願門の三つが含まれていると述べています(詳しくは少し先の『浄土論註』のその箇所を参照)。そしてその文の後につづく部分が観察門であることは誰の目にも明らかであり、さらに、これらの行はすべて天親みずからの利益のためではなく、衆生利益のためであるという意味で回向門にあたりますから、この書物全体が五念門の行であるということになります。
 そして第3の文にありますように、「五門の行を修して自利利他」することにより、五功徳門が成就され、「すみやかに阿耨多羅三藐三菩提を成就する」ことになります。五功徳門といいますのは、第1が近門(ごんもん)、第2が大会衆門(だいえしゅもん)、第3が宅門、第4が屋門、そして第5が園林遊戯地門(おんりんゆげじもん)とよばれ、五念門の行が成就することに応じて、次第に往生の旅が進展していくということです(近門においてすでに「かの国に生ぜんとなすをもつてのゆゑに、安楽世界に生ずることを得」と述べられていますように、この五功徳門はすべて往生の旅のなかにあります)。そして最終的に「阿耨多羅三藐三菩提を成就する」ことになります。
 冒頭で「安楽国に生ぜんと願」い、五念門を修し五功徳門を成就する菩薩たちを仰ぎ見ていたはずの天親が、この書物を読んでいく中で、いつの間にか自らが菩薩として往生の旅のなかにいるように感じられます。そしてそこからさらに不思議なことに天親が法蔵とダブって見えてくるのです。『浄土論』を語っているのは天親のはずなのに、法蔵自らが語っているかのように思えてくる。「菩薩は四種の門にいりて、自利の行成就したまへり。しるべし。菩薩は第五門にいでて回向利益他の行成就したまへり。しるべし。菩薩はかくのごとく五門の行を修して自利利他してすみやかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することをえたまへり」という文の菩薩というのは法蔵菩薩ではないかと思えてくるのです。

タグ:親鸞を読む
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