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『教行信証』精読(その158) ブログトップ

本文2 [『教行信証』精読(その158)]

(5)本文2

 『観経疏』「玄義分」につづき、『観念法門』から引用されます。

 またいはく、「摂生(せっしょう、おさめ取り往生させる)増上縁といふは、『無量寿経』の四十八願のなかに説くがごとし。仏ののたまはく、もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが国に生ぜんと願じて、わが名字を称すること、下十声に至るまで、わが願力に乗じて、もし生れずば正覚を取らじと。これすなはちこれ往生を願ずる行人、命終らんとする時、願力摂(せっ)して往生を得しむ。ゆゑに摂生増上縁と名づく」と。
 またいはく、「善悪の凡夫、回心し起行して、ことごとく往生を得しめんと欲す。これまたこれ証生(しょうしょう、往生を保証し証明する)増上縁なり」と。以上 

 (現代語訳) また『観念法門』にこうあります。五種増上縁の中の摂生増上縁といいますのは、『大経』の四十八願に説かれている通りです。その第18願に、わたしが仏となるとき、十方の衆生がわが浄土に往生したいと願い、わが名号をたった十声だけでも称えるようにして、わが本願力によりかならず往生させよう、もし往生できないようならわたしは正覚をとらない、とあります。これは往生を願う行者は、いのち終わらんとするときに、本願力に摂取されて往生できるということで、だからこれを摂生増上縁と名づけるのです。
 またこうも言われます。釈迦は、善人であれ悪人であれ、あらゆる凡夫が自力の心をひるがえし、念仏もうそうという気持ちにならせて往生させようとされますが、これも証生増上縁です。

 すでに『往生礼讃』において、現生の利益として滅罪・護念・摂生・証生の利益を上げていましたが、ここ『観念法門』ではそれに見仏を加え、五種増上縁として整理されます(これが『観念法門』の中心テーマと言っていいでしょう。因みに増上縁とは、弥陀の本願力がそのような利益のすぐれた因縁となるということです)。そこから二つの文が引かれ、一つは摂生増上縁、もう一つは証生増上縁についてです。

タグ:親鸞を読む
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