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正像末法とは [親鸞最晩年の和讃を読む(その7)]

           第2回 像末五濁の世となりて

(1)正像末法とは

 蓮如が文明5年に開版したいわゆる文明版『正像末和讃』(「草稿本」と比べますと、かなり手が入っています)は「夢告讃」にはじまり、「正像末法和讃」(58首)、「仏智疑惑和讃」(23首)、「皇太子聖徳奉讃」(11首)、「愚禿悲嘆述懐讃」(16首)、「善光寺和讃」(5首)、「自然法爾の法語」とつづき、そして「結びの和讃」(2首)で締めくくられます。これからこの和讃集の中核をなす「正像末法和讃」を読んでまいりたいと思います。まずはその第1首。

 釈迦如来かくれましまして
  二千余年になりたまふ
  正像の二時2はをはりにき
  如来の遺弟(ゆいてい)3悲泣(ひきゅう)せよ(2)

 注1 お亡くなりになり。
 注2 正法の時代と像法の時代。
 注3 末法の時代の仏弟子たち。

 あらためて正像末法の意味を確認しておきますと、正法の時代が仏滅後500年で、その時代には釈迦の教えが伝えられ、それにもとづく修行がなされて、その結果として悟りをひらく人がいますが、次の1000年の像法の時代になりますと、教えと修行はあっても悟りをひらくことはなくなり、さらにその後の1万年の末法の時代には教えだけはありますが、修行をする人はなく、とうぜん悟りをひらく人はいません。このように仏法がときの経過とともに次第に衰退していくとみる歴史観で、『大集経(だいじっきょう)』などに説かれています。
 親鸞は「化身土巻」でこの問題を扱い、次のように計算しています、「三時教(正像末の史観です)を按ずれば、如来般涅槃の時代(釈迦入滅のとき)をかんがふるに、周の第五の主、穆王(ぼくおう)五十一(正しくは五十三)年壬申にあたれり。その壬申よりわが元仁元年甲申にいたるまで、二千一百八十三歳(正しくは二千一百七十三歳)なり」と。周の第五代穆王の五十三年とは西暦では紀元前949年で、元仁元年は1224年(ときに親鸞52歳)ですから、差し引き2173年となるわけです。ただ、今日では釈迦入滅は紀元前383年とされますから(異説もあります)、元仁元年まで1607年となりますが、いずれにしても末法の時代であることは変わりありません。

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