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往相と還相 [親鸞最晩年の和讃を読む(その22)]

(6)往相と還相

 回向に往相と還相があることを明らかにしてくれたのは曇鸞の『論註』です(親鸞は『教行信証』の冒頭に「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり」と記していますが、これひとつとっても親鸞がいかに曇鸞から多くを汲んでいるかが分かります)。
 天親は『浄土論』において菩薩の五つの行(五念門、礼拝・讃嘆・作願・観察・回向)の一つとして回向を上げ、こう述べています、「いかんが回向する。一切苦悩の衆生を捨てずして、心につねに作願すらく、回向を首として(第一として)大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに」(これは親鸞の読みで、普通は「得んとするがゆゑに」と読むものでしょうが、親鸞は主語をわれらから法蔵菩薩として、「得たまへるがゆゑに」と読んでいるのです)と。その部分を曇鸞が注釈して、「回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり」としているのです。
 そして往相と還相についてこう述べます、「往相とは、おのれが功徳をもつて一切衆生に回施して、作願してともに阿弥陀如来の安楽浄土に往生せしめたまへるなり。還相とは、かの土に生じをはりて、奢摩他(止)・毘婆舎那(観)・方便力成就することを得て、生死の稠林(ちゅうりん)に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向(かえ)らしめたまふなり」(ここでも「たまへる」「たまふ」と法蔵菩薩を主語として読まれています)と。難しいことばですが、要するに、往相とは「救われていく相(すがた)」であり、還相とは「よろづの衆生を救う相(すがた)」です。こうしてみますと願作仏心が往相回向に、度衆生心が還相回向に対応することが分かります。
 そこで和讃ですが、まず「度衆生心といふことは、弥陀智願の回向なり」と言われ、次いで「如来の回向に帰入して、願作仏心をうるひとは」と言われて、往相も還相もわれらの回向ではなく、如来の回向であると詠われます。「救われていく相」も「よろづの衆生を救う相」もわれらのはからい(回向)ではなく、みな如来のはからい(回向)であるというのです。

タグ:親鸞を読む
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