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なぜ聖徳太子を [親鸞最晩年の和讃を読む(その84)]

            第10回 皇太子聖徳奉讃

(1)なぜ聖徳太子を

 これからは聖徳太子を讃える和讃です。まずはその第一首。

 仏智不思議の誓願を
  聖徳皇(しょうとくおう)のめぐみにて
  正定聚に帰入して
  補処(ふしょ)の弥勒のごとくなり(83)。

 注 補処とは釈迦に次いで仏となることで、弥勒はいま兜率天にあり次に仏となるから、こう言う。

 親鸞の聖徳太子への思い入れは大変なものです。これとは別に、すでに『皇太子聖徳奉讃』75首を83歳のときに、そして『大日本国粟散王聖徳太子奉讃』114首を85歳のときにつくっています。どうしてこんなにも手厚く聖徳太子を讃えるうたをつくるのだろうと考えて、すぐ頭にうかぶのが六角堂での夢告です。親鸞の妻・恵信尼が娘の覚信尼に宛てて送った手紙の中に次のように記しています。「(親鸞聖人は)山を出でて、六角堂に百日籠らせたまひて、後世をいのらせたまひけるに、九十五日のあか月(暁)、聖徳太子の文を結びて、示現にあづからせたまひて候ひければ、やがてそのあか月出でさせたまひて、後世のたすからんずる縁にあひまゐらせんと、たづねまゐらせて、法然上人にあひまゐらせて」と。
 これは親鸞が法然のもとを訪ねるきっかけとなった夢について語っています。六角堂に籠って九十五日目の夢の中に聖徳太子が現われ、そのあくる日に法然を訪ねたのだと。ここにはそれがどんな夢告だったかは示されていませんが、覚如の著した『伝絵』によりますと、「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽(行者宿報にてたとい女犯すとも、われ玉女の身となり犯せられん。一生の間よく荘厳して、臨終に引導して極楽に生ぜしめむ)」ということばであったと思われます。『伝絵』においてこのことばを語っているのは救世観音ですが、聖徳太子は救世観音の化身とみられていましたから、救世観音が聖徳太子の姿をとって親鸞の夢にあらわれ、こう語ったと見ることができます(『恵信尼文書』と『伝絵』の間には夢の時期をはじめ、さまざまな違いがありますが、いまはふれません)。

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