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聖徳皇のめぐみにて [親鸞最晩年の和讃を読む(その85)]

(2)聖徳皇のめぐみにて

 親鸞は聖徳太子の導きで法然のもとを訪ねることができ、仏智不思議の誓願に遇うことができたということです。ここで「聖徳皇のめぐみにて 正定聚に帰入して」と詠っているのはそういうことだと理解することができます。しかし親鸞と聖徳太子とのつながりはこのときはじめてできたのではなく、むしろすでに深いつながりがあったからこそ、この夢の中に現れることになったと言わなければなりません。『伝絵』とは異なる親鸞伝のなかに、親鸞は比叡山修行時代に法隆寺を訪れ、さらに磯長(しなが)の太子廟に3日間籠ったことが記されています。そしてそのときにも夢告を受けているのです、「汝の命根は10年余である」と(それが19歳のときですから、その10年後の29歳のときに六角堂の夢告に与ったということになります)。
 伝記の類いをどこまで真に受ければいいかという問題がありますが、少なくとも親鸞は若い頃から聖徳太子を慕っていたことは確かだろうと思われます。これは親鸞に限ったことではなく、日本の僧侶たちは多かれ少なかれ聖徳太子を尊敬していたと言えるかもしれません。なにしろ大陸からの外来宗教である仏教を日本の地に根付かせるという大きな役割を果たしたのが聖徳太子ですから。仏教が日本に入ってきた6世紀に崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏(および中臣氏)が激しく対立したことはよく知られていますが(そして崇仏派の蘇我氏の勝利に終わったこともよく知られていますが)、両派ともにおそらく仏教の本質を理解していたわけではなく、外からやってきたもの珍しい神(仏はそのころ蕃神‐外国の神‐とよばれました)を受け入れるかどうかを巡って争っていただけのことでしょう。
 それに対して聖徳太子は仏教という宗教がもっている真理性に気づき、これからの日本の政治の、もっと広く文化全体のひとつのバックボーンとすることができると思ったのではないでしょうか。そんなことを聖徳太子が語ったとされるいくつかのことばから感じ取ることができます。その一つとして「世間虚仮、唯仏是真(世間は虚仮なり、ただ仏のみこれ真なり)」を取り上げ、このことばに込められたものと親鸞の関係を考えてみたいと思います。

タグ:親鸞を読む
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