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『教行信証』精読2(その10) ブログトップ

本文4 [『教行信証』精読2(その10)]

(10)本文4

 つづけて讃文の三つ目です。

 『阿弥陀経』による。西方は道(さとり)に進むこと娑婆に勝れたり。五欲(眼・耳・鼻・舌・身の対象である色・声・香・味・触の欲)および邪魔なきによりてなり。成仏にもろもろの善業をいたはしくせず。華臺(けだい、蓮華の台)に端座して弥陀を念じたてまつる。五濁の修行は多く退転す。念仏して西方に往くにはしかず。かしこに到れば自然に正覚を成る。苦界にかえりて津梁(しんりょう、津は渡し場、梁はうき橋)とならん。万行のなかに急要(最も大切)とす。迅速なること浄土門に過ぎたるはなし。ただ本師金口(こんく、釈迦の口)の説のみにあらず。十方諸仏ともに伝へ証したまふ。この界に一人、仏の名を念ずれば、西方にすなはち一つの蓮ありて生ず。ただ一生つねにして不退ならしむれば、一つの華この間に還り到つて迎へたまふと。略抄

 (現代語訳) 『阿弥陀経』による讃文。
 西方浄土は悟りに向かって進むのに娑婆よりも勝れています。内なる五欲も、外なる邪魔もないからです。仏となるのにさまざまな善業を積むこともありません。ただ蓮華座に座り弥陀を憶念するばかりです。この五濁悪世において修行を続けるのは容易ではありません。念仏して浄土に往くにしくはありません。かしこにいけばおのずから悟りに至ります。そしてこの苦界にもどっては渡し場やうき橋となって人々を渡すこともできます。ですから万行の中で念仏ほど大切なものはありません。証を得るに浄土門ほど速やかなものはありません。それはただ釈迦一人が説かれるのではなく、十方の諸仏がともに伝え証言しています。この世界で一人が仏の名号を称えれば、西方にたちまち一つの蓮華が生まれ、一生のあいだ念仏を相続すれば、その蓮華がこの世界に来り迎えてくれます。

タグ:親鸞を読む
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