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『教行信証』精読2(その23) ブログトップ

本文3 [『教行信証』精読2(その23)]

(6)本文3

 さらに『述文讃』からの引用です。

 またいはく、「易往而無人 其国不逆違 自然之所牽(ゆきやすくしてしかもひとなし。そのくに逆違せず、自然のひくところなり)1。因を修すればすなはち往く。修することなければ生ずることすくなし。因を修して来生するに、つひに違逆せず。すなはち易往なり」と。
 またいはく、「本願力故(本願力のゆゑに)2といふは、すなはち往くこと誓願の力なり。満足願故(満足願のゆゑに)といふは、願として欠くることなきがゆゑに。明了願故(明了願のゆへに)といふは、これを求むるに虚しからざるがゆゑに。堅固願故(堅固願のゆへに)といふは、縁として壊(やぶ)ることあたはざるがゆゑに。究竟願故(究竟願のゆへに)といふは、かならず果し遂ぐるがゆゑに」と。
 またいはく、「総じてこれをいはば、凡小をして欲往生の意(こころ)を増さしめんと欲(おも)ふがゆゑに、すべからくかの土の勝れたることを顕すべし」と。
 またいはく、「(観音・勢至菩薩が)すでにこの土にして菩薩の行を修すとのたまへり。すなはち知んぬ、無諍王(むじょうおう)3この方(娑婆世界)にましますことを。宝海4もまたしかなり」と。
 またいはく、「(阿弥陀)仏の威徳広大を聞くがゆゑに、不退転を得るなり」と。以上

 注1 無量寿経のことば。
 注2 以下の5句も無量寿経のことば。浄土で道場樹を見るものは三法忍をうるが、それはこの五種力によると説かれている。
 注3 前にでてきた無諍念王のこと。阿弥陀仏の因位、法蔵菩薩のこと。
 注4 釈迦如来の因位の名前。無諍念王の臣下。

 (現代語訳) また『述文讃』にこうあります。『無量寿経』に「浄土は往き易いのに人がいない。しかし、その国は願いに違うことなく、おのづからひかれていくのです」と説かれていますように、往生の因である本願を聞信すれば、ただちに往生できます。聞信しなければ往生するのは難しい。聞信しさえすれば、違うことなく往生できるのですから、往き易いと言われるのです。
 またこうも言われます。『無量寿経』に「本願力のゆえに」と言われるのは、往生は誓願の力によるということです。「満足願のゆえに」と言われるのは、本願に欠けるところはないということです。「明了願のゆえに」と言われるのは、本願は空しくたてられていないということです。「堅固願のゆえに」と言われるのは、どんな縁も本願を破壊することができないということです。「究竟願のゆえに」と言われるのは、本願はかならず成し遂げられるからです。
 またこうもあります。諸仏が弥陀をほめたたえるのは、われら凡愚が浄土往生の願いをますます強くもつようにと思い、浄土の優れたありようを述べられているのです。
 またこうも言われます。観音・勢至菩薩がこの娑婆で修行されたと言われていますことから、無諍念王すなわち法蔵菩薩もこの娑婆におられたことが分かります。釈迦如来の因位である宝海梵志もまた同じです。
 またこうもあります。弥陀の威徳が広大であることを聞信することで、不退転の位を得るのです。

タグ:親鸞を読む
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