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『教行信証』精読2(その90) ブログトップ

本文2 [『教行信証』精読2(その90)]

(3)本文2

 『論註』からの引用がつづきます。

 菩薩は四種の門(五念門のうちの前の四。礼拝・讃嘆・作願・観察)に入りて、自利の行成就したまへりと、知るべしと。成就とは、いはく自利満足せるなり。応知といふは、いはく自利によるがゆゑにすなはちよく利他す。これ自利にあたはずしてよく利他するにはあらざるなりと知るべし。菩薩は第五門(五念門の最後の回向門)に出でて回向利益他の行成就したまへりと知るべしと。成就とは、いはく回向の因をもつて教化地の果を証す。もしは因、もしは果、一事として利他にあたはざることあることなきなり。応知といふは、いはく利他によるがゆゑにすなはちよく自利す、これ利他にあたはずしてよく自利するにはあらずと知るべし。

 (現代語訳) 『浄土論』に「菩薩は礼拝・讃嘆・作願・観察の四つの門に入り、自利の行を成就したまうのだと知るべきです」とありますが、この「成就」とは、自利を満足するということです。また「知るべし」とありますのは、自利を満足するがゆえによく利他をなしうるということです。自利を満足することができなくて、利他をなすことはできないと知るべきであるというのです。また「菩薩は回向の第五門に出て、衆生利益の行を成就したまうのだと知るべきです」とありますが、この「成就」とは、回向の因(五念門の第五)も教化地の果(五功徳門の第五)も、みな利他でないことはありませんということです。「知るべし」とは、利他をはたらくからこそ自利のはたらきとなるのであり、利他のはたらきができなくては自利にもならないと知るべきであるというのです。

 ここで前四門と最後の一門が自利と利他の関係として、互いに他をまって成り立つ所以が述べられます。

タグ:親鸞を読む
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