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『教行信証』精読2(その97) ブログトップ

本文5 [『教行信証』精読2(その97)]

(10)本文5

 本文4の最後に「もし仏力にあらずは四十八願すなはちこれいたづらにまうけたまへらん」とあったのを受けて、次のようにつづきます。

 いま的(ひと)しく三願(第18願、第11願、第22願の三願)を取りて、もつて義の意を証せん。願(第18願)にのたまはく、たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽してわが国に生ぜんと欲(おも)うて、乃至十念せん。もし生れずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除くと。仏願力によるがゆゑに十念念仏してすなはち往生を得。往生を得るがゆゑに、すなはち三界輪転の事を勉(まぬか)る。輪転なきがゆゑに、このゆゑに速やかなることを得る一つの証なり。願(第11願)にのたまはく、たとひわれ仏を得たらんに、国のうちの人天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじと。仏願力によるがゆゑに正定聚に住せん。正定聚に住せるがゆゑにかならず滅度に至らん。もろもろの回伏(えぶく、伏は復の意味で、輪廻を繰り返すこと)の難なし。このゆゑに速やかなることを得る二つの証なり。

 (現代語訳) 四十八願から三願を取り上げ、速やかに菩提にいたることができるのは本願の力によることを明らかにしたいと思います。まず第18願にこうあります。もし仏となることができましたら、あらゆる衆生がこころから信楽しわが浄土へ往生したいとおもって十回でも念仏するようにして、かならず往生させましょう。そうでなければ正覚をとりません。ただ五逆と正法を誹謗するものは除きますと。ここにありますように、弥陀の願力によるからこそ、十回念仏してその場で往生でき、往生しますからその場で輪廻転生をまぬかれるのです。これが速やかに菩提を得ることができる一つの証拠です。次に第11願にこうあります。もし仏となることができましたら、往生したものはみな正定聚となり、かならず悟りに至ることができるようにしましょう。そうでなければ正覚をとりませんと。このように弥陀の願力によるからこそ、正定聚となるのであり、正定聚となりますからかならず悟りに至り、もう生死輪廻に戻ることはありません。これが本願の力で速やかに菩提にいたることができる二つ目の証拠です。

タグ:親鸞を読む
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