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『教行信証』精読2(その145) ブログトップ

本文3 [『教行信証』精読2(その145)]

(6)本文3

 法蔵菩薩が大いなる誓願を立てる段に入ります。

 法蔵菩薩の因位(いんに)の時、世自在王仏の所(みもと)にましまして、
 諸仏浄土の因、国土人天の善悪を覩見(とけん、見る)して、
 無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
 五劫これを思惟して摂受(しょうじゅ)す。重ねて誓ふらくは名声十方にきこえんと。
 (法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪 建立無上殊勝願 超発希有大弘誓 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方)

 (現代語訳) 阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩であったとき、世自在王仏の導きのもと、十方諸仏の浄土の成り立ち、その国土や人びとの善悪のありさまを見せていただき、この上なくすぐれた願を立て、かつてない大弘誓を起こされました。そして五劫ものあいだ思惟を重ねて、これを選びとられました。重ねて誓われたのは、わが名号が十方世界に聞こえるようにということでした。

 浄土の教えは「わたしは阿弥陀仏(無量のいのち)に帰命します」と表明することに尽きると言いましたが、さて阿弥陀仏とは誰のことか、親鸞は無量寿経の所説にしたがい、そのポイントを手短におさえていきますが、無量寿経によりますと阿弥陀仏にも因位のとき、すなわち菩薩として修行していたときがあったことが分かります。いうまでもなく法蔵菩薩ですが、教行信証において法蔵菩薩が登場するのはこれが最初です。
 教巻において、真実の教えは無量寿経に説かれていること、そしてその大意は「弥陀ちかひを超発し」たことにあり、したがって「如来の本願をとくを経の宗致とする」ことは述べられていました。そして行巻において、本願の中の第17の願に念仏の根拠があり、南無阿弥陀仏を称えることで往生できることが縷々述べられてきたのですが、その本願をたてたのは法蔵菩薩であることはここにきてはじめて明かされます。阿弥陀仏が誓いを発したとは言うものの、実は阿弥陀仏がまだ阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩のときに誓願を立てたのです。
 本願とはプールヴァ・プラニダーナ、つまり前の(プールヴァ)願(プラニダーナ)であり、弥陀が弥陀になる前に立てた願ということで、本の願、本願と言われるのです。

タグ:親鸞を読む
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