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『教行信証』精読2(その148) ブログトップ

本文4 [『教行信証』精読2(その148)]

(9)本文4

 次は弥陀の光明と名号について詠われます。

 あまねく無量・無辺光、無礙・無対・光炎王、
 清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、
 超日月光を放ちて塵刹(塵は無数ということ、刹は国土で、限りなく多い国)を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
 本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。
 等覚(正覚に等しいという意味で、菩薩の最高位を指す。親鸞は正定聚と同義でつかう)を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
 (普放無量無辺光 無礙無対光炎王 不断難思無称光 超日月光照塵刹 一切群生蒙光照 本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就)

 (現代語訳) 弥陀の光明は無量光・無辺光、無礙光・無対光・炎王光、清浄光・歓喜光・智慧光、不断光・難思光・無称光、超日月光としてあまねく世界中を照らし、一切の衆生はみなこの光に照らされます。
 また本願の名号は衆生が必ず往生できる行であり、第18願の至心信楽の願が往生の正因です。信をえて等覚となり、大涅槃を証するのは第11願の必至滅度の願が成就したことによります。

 前の段で、法蔵菩薩が「無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発」したことが述べられた後、ここで、その誓願が成就して法蔵が阿弥陀仏となり、光明と名号とにより衆生を摂取することが詠われます。衆生が誓願に気づくために、光明と名号という二つが必要であるということです。前半で、「一切の群生、光照を蒙る」と、われらは光明により本願と遇うことができると述べられ、次いで「本願の名号は正定の業なり」と、名号によって本願に気づくことができると詠われます。

タグ:親鸞を読む
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