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『教行信証』精読2(その164) ブログトップ

本文4 [『教行信証』精読2(その164)]

(12)本文4

 これまで、本願の信をうれば煩悩を断ぜずして涅槃をうること、そして摂取の心光に照護されることが述べられましたが、次いでよこさまに五悪趣を超截(ちょうぜつ)して、仏から称賛されることが詠われます。

 信をえて、みてうやまひ、おほきに慶喜すれば、すなはちよこさまに五悪趣1を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏広大勝解のひととのたまへり。このひとを分陀利華2となづく。(獲信見敬大慶喜、即横超截五悪趣、一切善悪凡夫人、聞信如来弘誓願、仏言広大勝解者、是人名分陀利華)
 注1 地獄・餓鬼・畜生・人・天。
 注2 プンダリーカ、白蓮華のこと。

 (現代語訳) 本願に遇うことができ、おおいに喜べば、そのとき横さまに五悪趣を超えることができます。一切の善悪の凡夫が弥陀の本願を聞いて信ずれば、その人を諸仏はすぐれた智慧をもった人と称えます。その人を白蓮華のような人だと称えます。

 最初の一句「信をえて、みてうやまひ、おほきに慶喜すれば」は、大経「往覲偈(おうごんげ)」の「法を聞きて、よく忘れず、みてうやまひ、大慶をえば」が下敷きになっています。そして第二句「すなはちよこさまに五悪趣を超截す」は、同じく大経「三毒・五悪段」の序に「よこさまに五悪趣を截(き)り」とあるのにもとづき、その二つをあわせて、本願に遇うことにより、その力で迷いの生死を断ち切ることができると詠っているのです。そしてつづく四句も如来会と観経に拠って、念仏の人は仏たちから「広大勝解者」と称賛され「分陀利華」と称えられると詠います。
 まず前半の二句ですが、やはり「よこさまに」ということばが印象的です。「よこさまに五悪趣を超截す」というのはどういう事態をいうのでしょう。これが主題として取り上げられるは信巻においてですが、先回りしてその意味するところにこころを潜めてみたいと思います。

タグ:親鸞を読む
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