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本文2 [『教行信証』精読2(その172)]

(3)本文2

 最初は龍樹です。

 釈迦如来、楞伽山(りょうがせん)にして、衆のために告命(ごうみょう)したまはく、南天竺に、龍樹大士、世にいでて、ことごとくよく有無の見1を摧破(ざいは)せん。大乗無上の法2を宣説(せんぜつ)し、歓喜地3(かんぎじ)を証して安楽に生ぜんと。(釈迦如来楞伽山、為衆告命南天竺、龍樹大士出於世、悉能摧破有無見、宣説大乗無上法、証歓喜地生安楽)
 注1 存在するものは常住不変であるとする有見と、断滅空無であるとする無見。
 注2 本願念仏の法。
 注3 十地の第一位。不退となり歓喜を得ることからこの名がある。正定聚のこと。

 (現代語訳) 釈迦如来は楞伽山において次のように告げられました。この後、南インドに龍樹大士があらわれ、世に広がる有見と無見の双方を打ち砕いて、中道を示すであろう。そして本願念仏の法を明らかにして、みずから正定聚不退の位にのぼり安楽浄土に往生するであろう、と。

 釈迦の予言というかたちで、龍樹大士のなしとげた業績を短いことばで要約しています。その一つが「有無の見を摧破せん」ということ、もう一つが「大乗無上の法を宣説し」ということです。前者が『中論』の仕事で、後者が『十住毘婆沙論』の仕事を指していますが、親鸞は前者については、ここで「有無の見を摧破せん」と言うだけで、これまでもこれからも『中論』からの引用は一切ありません。一般には龍樹といえば中観派の祖とされ、そして中観思想といえば『中論』とされる中で、親鸞が『中論』をスルーしてしまっているのはどうしてだろうという疑問が出てくるかもしれません。
 この疑問は「有無の見を摧破」することと「大乗無上の法を宣説」することがどう繋がるのかという疑問と重なってきます。『中論』を著した龍樹と『十住論』を著した龍樹は同じ人物だろうかと思えるほど、この二つの書物の与える印象は異なるからです(両者は別人であるという説が実際にあります)。このあたりの疑問には確たる答えがないと言わざるをえませんが、わが親鸞は『中論』の龍樹より『十住論』の龍樹から大きな感銘をうけたことははっきりしています。

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