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『教行信証』精読2(その174) ブログトップ

本文3 [『教行信証』精読2(その174)]

(5)本文3

 龍樹讃のつづきです。

 難行の陸路、くるしきことを顕示して、易行の水道、たのしきことを信楽(しんぎょう)せしむ。弥陀仏の本願を憶念すれば、自然にすなはちのとき必定にいる。ただよくつねに如来のみなを称して、大悲弘誓の恩を報ずべし。(顕示難行陸路苦、信楽易行水道楽、憶念弥陀仏本願、自然即時入必定、唯能常称如来号、応報大悲弘誓恩)

 (現代語訳) 陸路を一歩一歩いくのは難行で苦しく、水路を船に乗るのは易行で楽しいことを教えてくださいます。弥陀の本願を憶念するだけで、おのずからただちに必定に入ることができるのです。だから、ただいつも名号を称えて、弥陀大悲のご恩を報ずるべきであると。

 まずは「難行の陸路と易行の水道」。あらためて『十住論』の該当する箇所を上げておきましょう。「仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行(ぶぎょう)はすなはちくるしく、水道の乗船はすなはちたのしきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるひは勤行精進のものあり。あるひは信方便の易行をもて、とく阿惟越致(あゆいおっち、不退転)にいたるものあり。乃至 もしひととく不退転地にいたらんとおもはば、恭敬(くぎょう)の心をもて執持(しゅうじ)して名号を称すべし」。
 この文から見なければならないのは難であり易であるとされるのは何であるかということです。大きくは仏道修行の難と易でしょうが、龍樹がここで特に問題としているのは阿惟越致に至ることで、阿惟越致に至る道に難と易があるということです。阿惟越致とは不退転地のことで、もうそこに至れば、どんなことがあっても仏になることから退転しない位であり、菩薩の階位52位の中で第41位、十地の第一位(初地)のことです。かならず仏になれることから大きな喜びがあり、それで歓喜地とも呼ばれ、また必定とも正定聚ともいうのでした。龍樹は十住論において一貫してこの阿惟越致を問題とし、いかにしてこの境地に至れるかについて論じているのです。そしてこの阿惟越致に至るのに勤行精進の難行と信方便の易行があると言うのです。

タグ:親鸞を読む
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